『イエメン・チュニジア作品展』


 【第1編:イエメン<木炭画>】 

  【第2編:イエメン・チュニジア<水彩画>】

年月日・期間 2005・03・24(木)−04・05(火)
ギャラリー名 アートギャラリー大磯
開催場所 〒255−0001 神奈川県中郡大磯町 1−1−1
アクセス 電車】:JR大磯駅から徒歩20分
【バス】:平塚駅ー>「化粧坂」下車
【タクシー】:JR平塚駅よりギャラリーまで「ワンメーター」
【駐車場】:ギャラリーに在り
通信手段 【TEL・FAX】 0463−61−0581
備考 期間中、作家は全てギャラリー常駐

   ジャンピーヤダンス奏者:イエメン
 
 (63.0 X 50.0 cm)

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【坪井賀子作品展】

昨年 訪れた「イエメン」と「チュニジア」の作品です。  古いアラビアが色濃く残り、野武士の様な短刀を挿したイエメンの男達は『木炭画』で。  アフリカといえども地中海に面し、ヨーロッパの香りがするチュニジアは『水彩画』で描きました。

【メディア取材記事】下記の「タイトル」をクリックすれば記事が読めます

○ 毎日新聞・全国版(夕刊:3月24日):『私がやってきます』    ○ 読売新聞:『街・ふれあい』  
○ 朝日新聞(朝刊:4月4日)  ○ 湘南ジャーナル(3月22日)    
○ 湘南いどばたかいぎ:『アートギャラリー情報』
○ タウンニュース:『イスラムの異国情緒』   ○ 市民ジャーナル:『イスラムを描く女流作家』 

イエメン木炭画作品  スライドショー

【スークの中で:B】(イエメン)
【漁師たち】 (イエメン)
【祖父と少年】(イエメン)
首都サナアは標高2300mの高原にある。 紀元前10Cのシバの女王の時代から、商業都市として栄え世界最古の町と言われている。 家屋は400〜1000年以上前に造られ、地震がないので今も生活が営まれている。 魚市場では、ハンマーシャーク等の鮫類や、白身の魚が多かった。 その風変わりな形と大きさに,ド肝を抜かれた。 アドリア海に面した海では、岸からすぐの所でマグロが獲れていた。 仕事の済んだ漁師達が舟べりで・・・・ 男性は江戸時代の武士の様にジャンピーアを差している。 少年も一人前の男の様に誇らし気に小さいのを差していた。 近世平和になったので徐々にこういう必要性も無くなり、すたれていくのでは、と思われる。

【部落と荷車】(イエメン)
【道端で】(イエメン)
【父と幼な子】(イエメン)
イエメンでは各部落はやまんお頂上にあることが多い。 2000m前後のこうどにあり、部落間の抗争他あらゆる外敵に対処している。 その他は20m位の城壁で町毎囲んで防衛している。 日がな一日のんびり座ってお喋りしている様に見える男達。 白いワンピスにイギリス植民地時代にもたらされた背広を着、ジャンピーア差している。 頭には布を被り、珍しく数珠を持っていた。 体格はほぼ日本人並み、無口で誇り高く優しい人々だった。 広報の岩の上は首長の館。 この国では通常女性は表に出ないので、外で見かけるのは男性ばかり。従って買い物も当然彼らがするし、幼い子の手を引いたり抱いたりしている光景を多く見た。

【ジャンビーア・ダンス】(イエメン)
【木陰で休む親子】(イエメン)

【スーク(市場)の中で:A】(イエメン)
太鼓や弦楽器に合わせ、短刀をかざして踊る。 この日、2800mの頂上まで$WDで登ったが、ヘアピンかアー部の繰り返しと空気も多少薄くなりその上ダンスに引っ張り出され、車酔いも手伝ってグロッキーになった。 家屋は20〜50mにも及ぶ。 一般的な住宅は15〜20の部屋があり、階毎に男性・女性・子供に分けられている。 窓は塵を避ける為小さく開けられているが、それでも家の中は、砂だらけだった。 紀元前のシバの女王の時代より、乳香で栄えたイエメンは,その他香辛料も豊富。 スークにはあらゆる日用雑貨と人々で溢れ、大変埃っぽい。 シャッターを押しては袋に入れるという動作を繰返す。(今迄に数個のカメラを駄目にした)

【ジャンピーア・ダンス奏者】(イエメン)
奏者と言ってもこの日は運転手(4WD)がつとめた。 イエメンの地形の山岳地は、いわゆるグランドキャニオンに似ている。 地球誕生の頃からの浸食によるもので、登りつめた頂上は、テーブルマウンテン状に360°見渡す限り続いており、此れが地球か?と本当に興奮した。

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