御嶽山(3067m)登山<第1日目>
中の湯〜八合目〜覚明堂〜ニノ池新館>

登山年月日 平成16年7月19−20日  曇・霧・強風
登山メンバー 織田征三(リーダー)・殿川紘史・石井宏・佐沢薫人・坂上芳充
主要ルート 【7/18】宇都宮自宅(10:00)−>(12:25)JR深谷駅(12:40)−>(17:40)道の駅「三岳」(車中泊)
【7/19】道の駅「三岳」(8:20)−>(9:00)6合目登山口:中の湯(12:05)−>(13:05)七合目(13:25)->(15:00)八合目:女人堂(15:15)−>(16:55)九合目:石室(17:05)−>(17:40)ニノ池新館(宿泊)

【7/20】ニノ池新館(7:00)−>(7:55)山頂(剣ヶ峰)・小屋(8:20)−>(9:00)二ノ池新館(9:50)−>(11:25)八合目:女人堂(11:40)−>(13:00)七合目(13:25)ー>(14:30)登山口:中の湯(16:00)ー>(18:00)中津川(18:05)ー>#19−>(20)塩尻ー>#18−>軽井沢ー>高崎ー>#50ー>小山ー(1:55AM)宇都宮自宅
所要時間 【7/18】ドライブ時間(休憩含む):7時間40分  <10:00AM-5:40PM>
【7/19】登山時間:5時間35分 <0:05PM-5:40PM>
【7/20】山頂・下山時間:7時間30分 <7:00AM-2:30PM> 
合計時間:18時間55分  <7:00AM-1:55AM>

  九合目:石室直下の急坂登山中

写真をクリックすれば拡大出来ます
御嶽山登山ルートマップ
スライドショー 【第1日目:@ A】 【第2日目:@

【御嶽山関連情報】:日本百名山
北アルプスと中央アルプスにはさまれて悠然と聳える「御嶽」は古くから信仰の山として全国から登拝者が訪れる。古来の風習を今に残し、「六根清浄」を唱えて登る白装束姿の信者の列が後を絶たない。 昭和54年(1979年)の噴火以来、山頂部にはには噴煙が上がり、荒涼とした地獄谷から神秘の水をたたえる三ノ池へと変化に富んだ風景が展開している。 深田久弥が著わした「日本百名山」には次のような記述がある。 「富士山」「鳥海山」「立山」「石鎚山」など、古くから宗教登山が盛んであったが、現在では一般登山の中に解消されている。 信仰登山の組織と戒律と風俗を今でも濃厚に保っているのは、御嶽だけだろう。(中略)道が白く見えるくらい白装束の信者が続いている。 

【今回登山の背景】
7月15日、東京開催の「旭ダウOB会」に出席後、昭和45年以来お世話になっている先輩:石井宏氏から、『昔の同僚との御嶽山登山』計画を聞いて、『小生も参加できませんか?』と即座に尋ねた。 理由は二つあった。 @数年前に悪天候の為に「田の原登山口からの登山」を途中で撤退したことを思い、再挑戦を考えていたこと。 A鈴鹿時代の先輩・友人との再会が叶えられることである。 「登山予定日:7月19−20日」から、7月18日に宇都宮自宅を出発するために、OB 会から帰宅直後から準備に掛かった。 電車で行く石井氏をJR深谷駅でピックアップすることで合意。
【登山ルート】今回の登山ルート
○ 中の湯(黒沢口登山道)ー>八合目・女人堂ー>覚明堂ー>二の池新館<往復> 登山標準時間:約4時間

7月18日:宇都宮自宅ー>JR深谷駅ー>道の駅「御岳」
5人で御嶽山に登山後、「木曽駒ヶ岳」「空木岳」「白山」「恵那山」などの登山が出来る食料・装備を揃えて、午前10時ちょうどに宇都宮の自宅をキャンピングカーで出発。 日曜日でかつ晴天だから道路はかなり混雑することを計算した時間だったが、国道#新4号ー>#50号ー>小山市を通過しても非常に順調なドライブだった。#125号に入り「JR深谷駅」に到着したのは午後12時45分。 公衆電話で石井氏の携帯電話を呼ぶと、深谷駅の一つ手前だとの返事。 道中での給油以外ストップせずに運転。 12時30分に改札で合流して、午後12時40分にJR深谷駅ー>#17号ー>#254号ー>佐久市ー>諏訪市ー>塩尻市ー>#19号ー>木曽福島を通過して、御嶽山に通じる県道#に入って5分で目的地:道の駅「三岳」に到着。 午後5時40分。 宇都宮から7時間45分で予想よりも1時間半程度早かった。 この道の駅が静かそうで宿泊を決める。 明日の弁当等の買い物で再度「木曽福島市街」に戻る。 午後6時半頃から夕食の準備開始。 約2時間かけて夕食・デザート・最近の情報交換で時間を楽しむ。 駐車場横のベンディングマシーンの灯りが丁度照明となり、最高の条件。 全国各地が猛暑に悩む中、日没後は半袖では寒さを感じる位涼しい夜・・・。

7月19日:中の湯・登山口ー>八合目ー>ニノ池新館

明日はゆっくり7時まで寝るといって休んだが、充分に明るくなった午前5時に目覚め・5時50分起床。 駐車場には約10台程度が夜をすごした様だ。 昨夜の星空と打って変わり曇天の朝。 6時半から朝食準備はキャンピングカーの周辺で実施。 7時半にはすべて終了して、8時20分に、道の駅「御岳」を出発して、「中の湯」登山口に向かう。 道中の右・左の山手には非常に多くの信者が建てた立派な石碑が無数に祭ってあるのには驚いた。 ほとんど切れ間がないほどの数だった。 3−4年前に登山で使った『田の原登山口』に通じる道路よりもこちらの方が多いと感じた。  9時に駐車場到着。 鈴鹿・福井グループと合流し易い様に、駐車場入口近くで駐車待機する。 待機中は下山後の登山ルートについて石井氏の意見を聞いた。 途中10時頃電話が入り、予定よりも少し早い時間で鈴鹿・福井チームが合流してこちらにアプローチ中だった。 結局予定時間の11時半を過ぎて到着。 

今回は5名のパーティでリーダーは最も若い織田氏に指示に従い登山口で装備の点検・登山届提出後の12時05分出発。登山口高度計:1790m−1850mとばらつく。 出発記念写真をトイレ前の「御嶽山登山ルートマップ」前で撮影。 10数年ぶりに再会した先輩・同期入社の人と歩きながら再会を喜び合う。 中の湯前を通過して樹林帯の木製の階段が始まる。 当初はペースが掴めない人もいて、20分間隔で小休止しながら前進。 木の滑り易そうな階段がまだ続く。 「七合目:八海山」の建物横まで、丁度1時間後の13時05分着。 20分間の休憩中に給水・軽食・果物等の補給をして出発。  

御嶽山登山ルート概念図     記念撮影 中の湯前通過 七合目:八海山小屋      祠と釣鐘

13時40分「黒沢口七合目」を通過。 高度:2100m 全体にペースが上がらずに「標準時間」から遅れだす。 この山荘の右手が「御嶽ロープウエイ」に通じる。 今日はこのロープウエイは運宮中だった。 動いていたら、二人はこれを利用する計画だったようだ。 この行者小屋では休憩せず。 小屋通過後、右手には「覚明霊神」と書いた白い縦旗があって立派な石の鳥居の奥には大きい祠がある。 右手の沢の奥に「しめ縄」が沢を渡っている。 沢岸には「トリアシショウマ」・「モミジカラマツ」が生えていた。 今朝一人で車で来たという地元の女性が下山してきた。 尋ねると「山頂部は前面ガス・強風・時に小雨」で全く視界もなく、高山植物も足元のものしか見えなかった。 寒くて食事も出来なかった」と。 残念だが、天気予報は高山には適用されず・・・・、下界は晴れて猛暑だというのに・・・。 

七合目行者小屋 左:ロープウエイ駅 覚明霊神の祠 トリアシソウマ モミジカラマツ

最初から続く「滑りやすい木製階段」はまだ続き、途切れる気配がない。 15時にヤット『八合目:女人堂』に到着。 予定時刻よりも約1時間も遅い!! 小屋周辺が樹林帯限界線らしい。 立ち枯れして白骨化した木(ダケカンバ?)が見える。 その立ち枯れした木を突くやや大型の鳥が数羽いた。 約480mm望遠レンズで撮影して拡大・トリミング。 立派な石の鳥居周辺の岩場に沢山の高山植物の花が咲いていた。 「イワギキョウ」・「ミヤマゼンコ」・「ナナカマドの実」地味な「キソアザミ」・「ミヤマコウゾリナ」・「ミヤマアキノキリンソウ」・「イワツメクサ」・「他」が咲いている。 

キツツキ 八合目以上のルート概念図         イワギキョウ ミヤマゼンコ
ナナカマドの実 八合目ベンチの休憩 ミヤマゼンコ   キソアザミ   切り立った九合目稜線
八合目鳥居 ミヤマコウゾリナ   ミヤマアキノキリンソウ   イワツメクサ 8合目ー>9合目

予定時間遅れを今夜宿泊する「二の池新館」に連絡する努力もむなしく、電波が不安定で通話出来ず・・・。 雨が時折落ち始めた。 小生は登山口から「ザックカバー」を掛けたが、他の4人はここで雨具とザックカバーを付けた。 寒いのゴアの雨具(上)を着用した。 約1000m先に「九合目:石室山荘」が崖にへばり付く様に,建っている。 其処まで行くと宿舎と連絡が取れるかもしれない。 息苦しいKS氏が名言を吐いたー>『俺の周囲にだけ酸素が薄い!!』 それを聞いて笑い出したく成るほどだったが、本人は真剣そうで我慢した。 2−3回10分程度の休憩:給水・喫煙タイムを取った。 辺り一面のガレ場に沢山の「オンタデ」が生えている。 大小様々だが、その生命力に感心した。 

 名セリフ:『俺の周りに酸素がない!!』 八合目〜九合目の登山路から下界の展望
高度:2000mは晴 八合目小屋と樹林帯 小休止・給水 オンタデ サァー出発!!

既に色がつき始めた株もある。 無味簡素は周囲に唯一の「暖色」を与える。 小雨・霧・風で休憩すると寒く感じ始めた。 高度計:2600m程度だ。 剣が峰:3069mで「二の池新館」高度は約、2900m。 風で雲が動いて下界が少し見え隠れする。 この様子では山頂部はガスで視界はない様だ。 残念だが下山途中の女性の情報どおり。 雲の切れ間から「建物と太いワイヤー」が見える。 あれは「田の原登山口」に近い三笠山のスキーリフト設備と判った。 

オンタデ ガスに隠れる三笠山 雲の切れ間 御岳スキー場リフト ゆっくり動く雲

先程通過した「八合目:女人堂」の建物が徐々に全体が見える様になった。 その周囲の樹林帯には白骨化した木々が多いし、周囲のハイマツも同様だ。 物の本で読んだが、「ハイマツは周期的に(数十年>60/70年)枯れながら移動すると書いてあったが、この集団枯れ現象がそのことだろうか? 人間が登山路を作り踏み込むからだろうか?

三笠山のゴンドラリフト    諸所に白骨化したハイマツの幹・根 白骨化したダケカンバの木:八合目周辺

七合目と八合目の中間くらいですれ違った二人の外国人から「休憩料金を払い忘れたので上の石室山荘で払って下さい」と¥1,000を預かった。 最後の急坂が迫ったがペースがゆっくりでほとんど呼吸の乱れなど起こらない。 頭上に見える石室山荘(九合目)は中々近づかない。 

白骨化したハイマツ  八合目〜九合目間の石ゴロゴロの急坂    喘ぎながら上る我がパーティメンバー

大きい石の表面を加工して刻み込んだ文字があった。 『喜道霊神』『栄明霊神』 (栃木県)とあるが、栃木県の団体が寄贈した石碑あろうか? 4人は足元だけ見る登山姿勢で誰も関心を払わないようだ。 ここまでも階段の材質は違うが殆どが階段状ルートである。 足への負担は思いに他きついようだ。 唯唯上り続けるのだ。 普通の登山道は幾らかのアップダウンは必ずあるがこの御嶽山は例外中の例外で下りは全くなかった。 

喜道霊神・栄明霊神 ガスの切れ間の下界 九合目石室山荘 黒沢口方面
歩き回る小鳥 九合目山荘直前 紅葉開始?:ンアカマド   八合目:如人堂 タデ科植物?

写真撮影しながら、最後からついて上った。 16時55分に「九合目:石室山荘」に到着。 今夜の宿舎との電話連絡を尋ねたら、親切に「衛星電話」経由で連絡してくれた<6時頃までには到着するので食事の準備は其の頃に!!> この九合目石室は猫の額ほどの土地を切り開き石を積んで基礎を築き、小屋を立て、屋根にはびっしりと大きい石が載せてある。 これは強風対策だろう。 九合目のすぐ上の「覚明堂」た「霊神関係祠」周辺は濃い霧に覆われている。 雲が切れて「田の原登山口」のバスセンターの大きい建物が一瞬クッキリと見えた。 17時05分に九合目小屋を出て山頂を目指した。 小屋の主人いわく:後30−40分の時間・距離だと教えてくれた。 この山荘には今夜の登山者はゼロの様だったので最近の登山者数のピークを聞いた。 最近は世代交代が上手く行かず、昔の半分以下にも満たない。 特に将来が心配だと言った。 多分、信仰登山のことだろう。  

瞬間の陽光と雲 石室山荘:九号目  田の原登山口 九合目:石室山荘 覚明堂の前にて

覚明堂を過ぎて少し上ると右手の方向に「二の池新館」の表示が見えた。 濃霧と横殴りの強風で霧雨が「メガネ」に吹きつけて視界がアンバランスとなり危険のため「メガネ」を外して進行。 急に左手に「水の渋き」を感じ、これが「二の池」かと思った。 まもなく「二の池小屋」があって、5分も歩くと目的の「二の池新館小屋」前に到着。 17時40分。 全員安堵感が漂う。 八合目と九合目中間点の頃は「今日は二の池小屋に辿り着けない」と内心思った。 小屋入口で記念写真撮影。 幸いに小屋入口めがけて強風が吹くのでカメラがぬれないで撮影可能だった。 最小枚数を撮って小屋に入りこんだ。登山客は全員で10名+程度でガランとした小屋だった。 昨夜までが多かった様だが、定員(限界収容人員)には届かなかったそうだ。 濡れた雨具の乾燥・荷物の2階までの移動・部屋への移動・お風呂と忙しく時間を挽回した。 この2900mの御嶽山で風呂に入れるなんて思いもしなかった。 それも大きい「ヒノキ風呂」だった。 その後1階で食事にかかる。 他の4人は「ビールで乾杯」したが高山での飲酒の怖さ(早酔い)の為、一人お茶で代用・・。 一人早く飯に入る。 空腹の為質素な夕食は10分足らずで終了。 

覚明堂:覚明霊神を祭る 二の池新館前:到着直後 乾杯!!

食事終了後、5人2階に集合して8時消燈までの1時間を歓談に耽った。 10数年前の鈴鹿勤務時代の雰囲気に戻れるから不思議だ。強風のために建具の音がドンドン・ガタハタと鳴る。 消燈に促されて急いで夜具を敷き潜り込んだが、この物音で安眠出来るだろうか心配になった。 案の状、いつまでも物音と興奮で寝付けなかった。 夜中12時頃、睡眠誘引剤(Melatonin)飲んだが効果なし。 とうとう熟睡出来ない夜をすごしたようだった。 標準時間:4時間に対して1時間半も余計に掛かった登山だった。