高千穂峰(1574m)登山

高千穂河原〜ウマの背〜山頂・往復

登山年月日 平成16年5月13日 快晴
登山メンバー 殿川紘史  (単独行)
主要ルート 【5/13】えびの高原(5:55)−>(6:50)#5合目(6:55)−>(7:35)韓国岳山頂(8:05)−>(9:40)獅子戸岳山頂(9:50)−>(10:15)新燃岳火口(10:20)−>(10:35)新燃岳山頂山頂(10:55)−>(11:30)中岳山頂(11:40)−>(12:15)高千穂河原(12:50)−>(14:15)馬の背ー>(14:35)高千穂峰山頂(15:00)−>(15:50)高千穂河原(15:53)−><バス>ー>(16:20)えびの高原駐車場(車中泊)
所要時間 登山:3時間 <PM0:50-PM3:50>     全体:10時間25分 <AM5:55−PM4:20>

 御鉢から見た高千穂峰
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【高千穂峰登山ルートマップ】
スライドショー: 【第1編:登山口〜ウマの背】 【第2編:ウマの背〜山頂〜登山口】

【高千穂峰関連情報】日本百名山・霧島山の代表的な山
鹿児島県北部に位置する「霧島連峰」は「霧島屋久国立公園」に昭和9年に指定された。山あり、湖あり、高原あり、温泉ありといった自然の変化に恵まれている上に国の創めの伝説の地でも在る。 この霧島山の歴史は古く、火山活動は7百万年ぐらい前に始まったと言われる。 高千穂峰・中岳・韓国岳・大浪池などはおよそ1万年前に出来たもので、中でも「新燃岳」や「御鉢」が最も新しく、新燃岳は昭和34年(1959年)にも爆発を起こし、多量の火山灰を降らせ、今でも水蒸気を出している。 この様に、霧島火山は古い火山と新しい火山からできており現在の姿を作った。霧島山はあ韓国岳や高千穂峰を中心に「23座の火山」からでき手いる。山頂にはそれぞれ囲うがあり、完全な火口が15、水のたまった火口湖が10もあり、ちょうど月の表面を見るような素晴らしい風を見せてくれる火山の集合体である。
<登山ルート>は以下の4本が在る。 最も一般的ルートは「高千穂河原」を基点とするルートであり、今回も2年前と同様に「韓国岳からの縦走」で、高千穂河原に下山して、其処から登山するコースであった。
@ 高千穂河原ー>御鉢ー>天の逆鉾:山頂(1574m):「登山時間:1時間40分」
A 皇子原神社ー>分岐ー>天の逆鉾:山頂 :「登山時間:3時間30分」
B 霧島東神社ー>分岐ー>天の逆鉾:山頂 :「登山時間:3時間30分」
C 都城市方面ー>分岐ー>天の逆鉾:山頂 :「登山時間:3時間」

えびの高原を5時55分に出発して、韓国岳山頂(7:35)・獅子戸岳(9:40)・新燃岳(10:15)・中岳(11:30)・高千穂河原(12:15)に到着した。 昼食をビジターセンター前の日陰で済ませ、「えびの高原方面行き最終バス」が15時45分であり事を始めて知った。 2年前には「えびの高原行きバス」は無かった。 下山が遅れれば、約¥3500のタクシーを利用するつもりで、12時50分に高千穂峰(1574m)に向かった。 快晴で暑く、水を頻繁に摂った。 登山口から見上げると青いニュニフォーム姿の学生の大グループが下山してくるのがはっきり見えた。 間もなく「霧島神宮第ニ番目の跡地」(約1000年前にまた噴火で消失)前を通過。 霧島神宮の変遷を書いた看板によると、最初の霧島神宮は高千穂峰頂上と御鉢の中間(山頂マアで約20分の位置)に遭ったが、約1400年前の噴火で焼失。 その後、この地に移ったが、此れも約1000年前に再度、噴火で焼失。 その後、霧島町の「待世」に移ったが、今の霧島神宮は凡そ480年前、現在の地に建て替えられた。 立派な階段状ルートを暫く進むと、赤茶けた火山石がゴロゴロした土地となる。 其処で「下山する学生の先頭」に遭う。 


此処からが「高千穂峰」登山の胸付き急坂が始まる。 茶褐色お岩がゴロゴロして歩きにくく、段々その岩が砕けた小石状になると、「豆を踏んで歩く」状況に近く、「1歩進んで半歩下がる」様になる。 急坂を登りきると右手には「御鉢」が見えて、高千穂峰旧火口の様子が確認できた。 最奥部斜面から水蒸気が噴出しているが、いまでも安定せず、御鉢周りは禁止中である。 去年末には「高千穂峰登山」も禁止されていたようだ。 数箇所から絶えず噴気し、真っ白な煙は美しいが不気味でも在る。 火口の底は綺麗な砂地だが、外輪からの斜面は>45度で下り落ち、上部には「黒と赤の岩が交互に堆積した状態」が見える。 その断層面は綺麗な模様として写真のアクセントになる。


最後のウマの背のお斜面近くで「大集団」と出合った。 運動靴の学生は下山で相当の難行を強いられていた。 滑るし、ゴロゴロ石の上を踏むと靴底から足の裏に岩の凸凹が痛い。 山頂を凝視すると「逆鉾」や風に棚引く「日の丸」、更に下山中の学生達が見えた。(写真右3枚)


お鉢の左側が登山ルートになり、火口側のガレ地には「ミヤマキリシマ」の幼木が沢山在って、どれからも可憐な花を付けている。 「白い噴煙」「白い火口底部縁」「赤茶けた岩」「ミヤマキリシマのピンク色」「緑」が何れの色も引き立って見える。 火口底部には以前は下りたらしい。 石文字が見える。


後ろを振り返ると春霞で薄く見える「中岳・新燃岳・獅子戸岳・韓国岳」等が遠くに見えた。 右に旧火口を左に厳しく切れ込んだ谷と大断層の中に見える異様な「赤と黒」が交互に堆積した層が生々しく見える。 高千穂峰の北斜面は傾斜度:40度はありそうだった。


旧火口稜線部の最後部はなだらかになり、左手に下るルートが続く。 その先が「ウマの背」で最初の「霧島神宮」建物があった「霧島神宮跡」である。 右手には「御鉢周回禁止」の注意書が在った。 簡単なロープ程度であった。 神宮跡地には最後の学生集団が休憩中だった。 此処からまた「急坂」が頂上まで続くが、これが最後の登り。 頂上部には左手(南)からガスが押し寄せ始め、時々、山頂が隠れてします。 明らかに天候は悪化している。 20分間の細かい火山灰との苦闘の末に「高千穂峰山頂」に、午後2時35分に到着。 山頂は薄日に照らされり、ガスに覆われたりの状況だった。 登山客はゼロでどうも小生が最後らしい。


頂上部の「三角点」「御神前と記されたステンレスの賽銭箱」「木製の質素な鳥居」「日の丸」等の集合した部分が山頂である事を示していた。 2年前、強風・ガスの中に登山して、これ等山頂部の施設も満足に見えなかった。 赤い山小屋は石で3方向が強風から守られている。 内部に入ると、70歳前後の管理人らしき一人がいた。 2年前の修行僧侶の話をしたら、今は自分が管理を受け継いだとの事だった。 2年前はその修行僧に案内されるようにして殆ど視界の無いルートを駆けるように下ったことを思い出した。 最終バスの時間は気になるが、空腹の為に山頂の石で「パン+果物+水」で昼食とした。 段々視界が悪くなる。 一人の登山装備の青年が下から来た。 同じルートを下ると言っていた。 管理人氏は日の丸を下し、山小屋(現在は休業中)締めて犬と共に下山開始した。 を気をおれ直して、15時丁度に山頂を出発。 


見下ろす「御鉢」方面はガスで隠れそうになっていた。 粉体交じりの火山灰に足を取られぬように注意して、やや左手のガレ場を辿った。 「イワカガミ」の大群落に遭遇して、終バスも忘れてレンズ交換して「マクロ撮影」した。 悪い足場が余分に時間を取った。 これほどの集合した「イワカガミ」は初めて観察した。 神宮跡地まで下り、安心して下山を急いだ。 途中数枚を写しただけで、御鉢を左手に見ながら滑りやすいガレ場に「出た。 その先には「最後の学生達」を救援しながら下る先生数人を追い抜いた。 相当に遅い下山速度に人事ながら心配になった。 得意の下り坂を休憩無しで通過して、高千穂河原の駐車場到着は「15時45分」だった。 5分間のことで終バスに遅れたと思ったら、バスが延着しているらしく、まだ着ていないという。 下山5分後の15時50分に到着。 今日も幸運に恵まれた!!


えびの高原までの中間点で数人の登山者が下車して、ただ一人乗客となる。 運転手氏の親切な沿道の案内に耳を欹てた。 16時20分、えびの高原駐車場到着(バス代:¥460)。 5時55分からの10時間半の霧島連峰縦走は無事終了した。 バス停留所前の「無料足湯」に足を浸して休憩後、17時〜18時20分まで近くの「厚生年金関連施設」を尋ねて「入浴」して、一日の汗と疲労を洗い流した。 18時30分以降夕食。 20時頃早々と就寝。 明日はゆっくりししながら、大崩山登山口へ移動する余裕在る日程だ。  総歩行数:23,100歩。