My Diary 2004年12月度

 12月23日  蒙古軍遺跡:志賀島 

【志賀島情報】
上記「志賀島情報」をクリックすれば、この島の日本暦上の重要性が詳しく記載されていますが、福岡市の北東に位置する周囲11キロの島で、干潮時には砂嘴によって陸続きとなる。 其の砂嘴は「海の中道」と呼ばれ、福岡市からも近い為に自然味豊かな観光地になっている。 故郷から40キロの位置にあるこの島は以前から知ってはいたが一度も訪れた事が無かった。 実弟の長男の結婚式で九州に来た折に、1日早く到着出来たので、12月23日の夕方急に企ててこの島に立ち寄った。 島内を車で一周した時に観光案内表示に誘われてその価値ある歴史上の遺跡を訪ねた。
 写真上でクリックすれば拡大出来ます  スライドショー:自動 
志賀島の南、博多湾内の「能古島」が控えで青黒く浮き上がってみえた。 金印公園の高台から撮影。 
「金印公園」は約1900年前に中国とこの地方の交流の深さを物語る『金印』が発掘された所である。 当時中国の皇帝:始皇帝がこの国からの遣いに授けてとされる。
島内一周出来る道路の右手の高台に展望台があり、博多湾が見渡せる。 見事な竹林と公園内の早咲きスイセンが目に止まった。
公園広場とスイセン 歴史上に有名な2回に渡る蒙古軍の襲来で捕らえられた蒙古軍兵士の首切り塚とも記載されている遺跡。 ある僧侶の遺志で彼らの冥福を祈る為に近年構築された石碑である。
車数台分のスペースの駐車場横に「7体の石碑」が建つ。 その真上の雑木林に「紅葉したハゼ」が在った
その石碑には文字が刻まれている 志賀島には万葉歌碑が幾つもあるらしく「六号歌碑」とある
この歌碑は道路と博多湾の間の狭いスペースに見事な石に刻まれている。 博多湾と志賀島(左上部の島)の位置関係
万葉歌碑の数は10箇所もあるらしい。 此れは第6ヶ所目。
道路の右手の高台へ石段を登ると大きな「蒙古軍供養塔」と書いた石碑群が設置されていて、この高台からの博多湾の眺めは見事。 
石段の途中から見返ると「紅葉したハゼ」越しに博多湾が見え、丁度博多港ー>志賀島行きのフェリーが通過中。
海岸は広くないが砂浜になっている。    「蒙古軍の供養塔」から駐車場に戻った時に駐車場脇の草叢に白い可憐な花を見つけた。 
直径:2cm程度の花・蕾・種まであり、種は先端部が3つに分かれた楔状を成し、衣服に付着しやすい形状だった。
秋のキリンソウかそれともセイダカアワダチソウだろうか? 不思議な形をした雑草の種:葡萄の房状に垂れ下がる。 「志賀島」観光案内図:北端の国民休暇村・駐車場で車中泊した。

午後1時頃、志賀島観光を終えて、綺麗な海岸線を離れて国道#3号線に出て、交通量の多い割にはスムースな流れに沿って、福岡市内・南区の待ち合わせポイント近くに午後2時半頃到着。 携帯メールで連絡すると直ぐ返信されて、より正しいポイントの指示が入り、無事3時前に再会を果たす。 高校時代の同級生・今年8月下旬に「大曲花火競技大会」に遠路来てくれた友人である。 4LDKの素晴らしいマンション(仕事場として所有)で午後4時〜9時まで市内在住同級生:3名も加入してご馳走を頂きながら愉快な5時間を過ごし、女房の郷里:長崎県東彼杵町の道の駅「そのぎ荘」を目指した。 予定よりも早い午後23時20分に到着。 静かな道の駅で熟睡した。 明日は女房の実家を訪ねる。

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