My Diary 2005年04月度

04月30日-C 『妙義山:中之嶽神社』

【中之岳神社】 
妙義神社を過ぎて「妙義紅葉ライン」に沿って走り、「金鶏山」を大きく南に巻くと「さくらの里」がある。 此処を通過して更に進むと「妙義公園」の大駐車場がある。 此処から表妙義山の「金洞山」を見上げると奇岩群が新緑の中に見える。 正面に赤い鳥居があり、「中之岳神社」の標織がる。 詳しくは「中之岳神社」と「大国神社」の二つがある。
『中之岳神社』(奥宮)について次の内容の看板が参道入口にあった。
御祭神 倭建尊(日本武尊:やまとたけるのみこと)外十五柱
由緒 本社はその昔波胡曽神を山の主と祭られて居たが、倭建尊が勅令に依り関東御巡礼の際に妙義山(?)登嶽せりと仇へられ 人皇二十九代欽明天皇の御代に妙形氏が社殿を建立した。 徳川時代に至り諸大名の崇敬致地所と成り 領主織田筑前守信久候 社殿を改築 中之嶽奉行を設け 地所を寄進 巌高寺を建立し別当とした。 享保五年 社僧 祐覚吏正 斉藤半左衛門と具進して嵯峨御所より菊御紋付の幕提灯を奉納下賜せらる。 旧小幡藩の鎮守社で明治十一年小坂村の数社を合祀し現在に至る。

「中之岳神社」の赤い鳥居を潜り直進すると左手に「大国神社」が祭られている。 <出雲大社御分社>の注釈あり。 
右手を見上げると50m以上の急な石段が上に伸び両側には杉の大木が何本の石段に迫る。 余りの急勾配に手摺を掴みたく成る程だ。 途中で上から降りてくる二人の子供(男女)が「叔父さん! 今から登るの?」と聞くので「ウン」と返事するとジャアまた僕らも登るから上まで「ドチラガ早いか競争しない??」と妙な挑戦を投げかけてきた。 「いいよ」と返事して、30−40m残った石段を駆け上がり始めた。 数段子供に先行されて、本当に負けそうに成り、歳を忘れて一気にピッチを挙げて追いつき、最後は「一段」先行して終了。 子供に勝ちたい気持ちを抑えて、勝たせれば子供は満足感を得られたのに・・・何時までも心の狭さを意識して少し気まずく感じた。 
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