第4編:全国花火競技大会
<平成16年度:第78回>
【第4編:夜花火競技会作品集A】
見学年月日 競技会:8月28日(土)
参加者名 殿川紘史・福川正勝・ON氏・他2名
全国花火競技大会見学の背景
第1編:競技会前日の会場風景
第2編:第一部・昼花火競技会作品集
第3編:第二部・夜花火競技会作品集@
第4編:第二部・夜花火競技会作品集A
大曲全国花火競技大会の歴史
競技大会の説明
第一部:昼花火競技大会プログラム
第二部:夜花火競技大会プログラム@ A B C
花火図鑑:花火の種類
大曲花火競技大会関連情報(ウエブ)

            大正時代に登場した「千輪」
    (一つの大玉が割れて数十個の小玉に分離して開花する)

写真をクリックすれば拡大出来ます
スライドショー 第1編 第2編 第3編@ A 第4編

第4編:夜花火競技会作品集A
夜花火は第2部として、午後6時50分から開会宣言され、7時05分から8時50分まで合計競技会参加企業数は「28」で、「28作品」が夜空に発表された。 手当たり次第に撮影した写真から、鑑賞に堪える写真をかなり無理して拾い上げて此処に順次掲載していくことにする。 鑑賞時間節約の為に「スライドショー(説明無)」も添付しました。
【撮影条件】
撮影条件は大会開始10分の間で幾つかの条件をテストし、当初期待していた「長時間露光:3−5秒間露光」を試したが、花火の打ち上げられる場所の位置・大きさ・明るさ・花火の重複等が一々変化するので、殆どが白飛び現象が起き易く、その度に絞りの変更が上手くいかず、去年と同様の「ISO:800−1600」で撮影方法は「プログラム制御」方式ー>普段の昼間の撮影条件で大部分を撮影した。 「カメラブレ」防止でケーブルレリーズを使ったが、花火の位置・大きさの調整でレンズを手から離せず、結局「三脚固定」して人差し指でシャッターを押す羽目になった。 可也の枚数が、手に力が入り過ぎて「カメラブレ現象」が発生していた。 
【写真処理方法】
殆どの写真は次の方法で処理した。 @取捨選択した写真をレタッチ A 花火の映像の偏りや、小さすぎるものはトリミング  花火の如く暗い中に明るい被写体が動的出現するために、「予測撮影」は必須の技術だと思う。 特に今回の様に「シャッター速度X絞値」を自由に変えるプログラム制御での撮影では「シャッター開放時間は1/25〜精々1秒」の間に花火の最高の条件に合わせる必要があり、50%以上は偶然を期待する羽目だった。 従って「乱写」によって偶然を期待した。 今回も当然だが、0・5秒早いなら、0.5秒遅いならもっといい写真が撮れたのに・・・・というものが山程あった。 恥を省みずに記録写真として、また自分の反省材料として「沢山の夜花火の写真」を「第3編から終了出来るまで」HPにアップしたい。 
最後まで見て頂いた方は表彰します・・・(大笑)。 各写真をクリックすれば拡大出来ますが、能率よく短時間でご覧になりたい方は「スライドショー」で御覧ください。 「Homepage Builder」のスライドショーソフトを使い、拡大写真を取り込んで纏めました。 
【スライドショー鑑賞上の注意】 ー>【スライドショー:第4編
各スライドショーの写真枚数は「約30枚〜50枚」に纏めてある為に、通信回線が「ブロードバンド」でない電話線をご使用の皆様は「全部の写真」をダウンロードする時間が長くなります。 悪からずご了解ください。 ダウンロードが完了前に「右ボタン」を押せば「エラー」と成ります。 その時はもう一度最初からやり直してください。 


花火競技会作品集へ 第1編 第2編 第3編 第4編 第5編 第6編 第7編 第8編 第9編 第10編  


【全国花火競技大会見学の背景】
【第77回:去年の見物の背景】
直ぐ「インターネット」で「大曲の花火」を検索してビックリ!! 凄い見物者数の為に「宿舎」「駐車スペース」「大曲市内道路」は想像を絶する混雑。 人口3.9万人の大曲市に60-70万人が押し寄せることによる。 主催者側の運営方針で22日から市内の主要道路の至る所が交通規制される。 其の情報で、一日早めて、23日(土)開催に対して、宇都宮を21日午後2時に出発、23時到着して、所謂「駐車場スペース」確保に奔走。 運良く「大曲橋の橋下駄直下」に1台分のスペースを確保。 以後24日早朝までじっと動かず3日の車中泊。 毎日、早朝は寒い位の快適な無料ホテル兼見物席でした。雨にもかかわらず「キャンピングングカー」の「サイド・オーニングのテント」の下で全く濡れずに鑑賞しました。 最初の写真撮影で「花火撮影」の難しさを体験。

【第78回:平成16年度】
去年8月、北海道の友人に急に見物の声を掛けられ、初めての大曲花火大会への見物をして1回で病み付きになり今年は友人にも声を掛けて合計5名のパーティーで大曲市雄物川河原駐車場に大会当日の2日前の8月26日の夕方到着した。 勿論、秋田市内も含めて宿泊施設は皆無となるために、キャピングカーに一切の生活必需品・写真撮影用機材・テント(2張)を満載した。 去年の経験を生かして、雨の場合でも見物・撮影に困らぬ様に「大曲橋橋脚直下」部に車を入れ、その横に生活用品(炊事用具・テーブル)を配置し、前面に「休憩・見物用シート」と「テント」を設営。
【日時】 8月28日(土)午後5時〜9時30分
       第一部: 昼花火の部 (五号早打五発): 午後5時〜5時50分
       第二部: 夜花火の部 :午後6時50分から9時30分
【場所】 県大曲市内 <雄物川河畔:雄物川左岸・大曲橋橋脚下>


大曲の花火大会の歴史
大曲の花火大会は明治43年8月26日、仙北新聞社(現秋田新聞社)によって創設され、その後大曲花火協会、大曲町主催を経て現在の大曲市・大曲商工会議所・大曲市観光物産協会主催に至っています。 この間戦争などでの中断がありましたが、今回の大会で77回を迎えます。 大曲の花火が名実ともに全国一と言われるように背景には、大曲市民が花火を愛好し、花火に対する理解が深かったことが挙げられます。 もともとは郷社諏訪神社の祭典に全町あげて花火を奉納したものが原点となり現在の花火大会となっています。 また、大曲仙北地方一帯にはもともと煙火店が多く、したがって各店が競い合って花火の品質を高めていきました。 本大会に出場する全国の花火師達は、はるばる大曲に来て精魂込めた花火を自らの手で打ち上げます。 其の真剣さはまったく他には見られない本大会の一大特色でもあり「腕をふるう競技の殿堂」として花火師から認知されています。 また花火は、観客席から雄物川を挟み西山を背景に打ち上げられ、余分な背景色がない全国でも屈指の花火鑑賞地とされています。  

競技大会の説明
全国花火競技大会は、昼花火の部では「5号早打ち5発」、夜花火の部では「10号割物(尺玉)二発」と「想像花火」によって、参加27社の花火師によりその競技が競われます。

【昼花火の部】
昼花火の競技は、全国でも大曲だけとなりました。 昼花火は、雅趣に富んだ見応えのある花火で、音から花火通の粋人が好む花火でした。 煙竜<煙物>や割物で競技を行います。  煙竜<煙物>は夜の光の代わりに色煙<紅・黄・青・緑・紫など>を駆使して色彩豊かに空に模様を描き出すものです。  この花火のポイントは模様の多様化と色彩を鮮明に描き出すことにあります。  割物は夜の割物花火とまったく同じ手法で、光の代わりに色煙で牡丹や菊をあらわすもので、夜の割物花火と同じように非常に手の込んだ技術にも高度なものです。 この花火のポイントは、花火の形と鮮明な色彩にあります。

【十号割物の部】
割物10号2発のうち一発目の玉は「芯入割物」にして課題玉とし二発目は前記以外の創造的な物を自由玉とし総合点で評価します。
課題玉は三重に開く「八重芯」、四重に開く「三重芯」、最近では「四重芯」等も出てきています。  自由玉は「千輪」「冠菊」「小割模様」等があります。 それぞれに開く花火は、より精巧に「整」を追求し完璧な調和美を描き世界一華麗な芸術美を作ります。 まさに、技術伝統を誇る究極の花火列伝となっています。

【創造花火の部】 
創造花火とは、創造の名のごとく従来の丸型の概念を破った花火。 昭和39年(1964年)の大曲全国花火競技大会から全国で初めて取り入れられた花火で、秋田県大曲市が創造花火の発祥の地です。 元大会委員長の故佐藤勲氏の考案により、打ち上げ花火にテーマをもうけて形態、色彩、リズム感、立体感など花火師の創造性を追求したものです。

花火図鑑http://www.ldt.co.jp/hanabi/>より転載


日本の花火を代表するのが、菊。そして、この菊こそ、世界で最も華麗で精巧な花火なのではないでしょうか。上空高く花火が開くと、星(光や色彩、煙を出す球形の火薬)が尾を引きながら四方に飛び散り、菊花の紋を描きます。菊は、一つの円(球)ではなく、芯物といって、二重・三重・四重の同心円を描きます。三重を八重芯物、四重を三重芯物といいますが、これらの芯入花火は二重・三重に星を並べて作るので、配色や星の大小などを考えて丁寧に配列することが必要です。同じ八重芯でも個人差があり、また、同じ人が作っても、全く同じものにはなりません。名人といわれた故・青木多門氏は「一年に二百以上作る尺(十号)玉で、自分が満足できるものは三つか四つだ」と言われました。


光の帯がゆっくりと夜空から流れ落ちる雄大さ。最近の花火大会の有終の美を飾ることが多いのがこの冠菊。昔は禿菊と書いたといいます。江戸時代、遊女に仕えた女の子の髪型に似ていたことからなのですが、最近ではさらに華やかになり、王冠に見立てて冠菊と記すことが多くなりました。すぐに消えずに、花弁が垂れ下がってゆくそのさまは大柳とも呼ばれ、江戸時代は暗い色を愛でたようですが、最近ではキラキラと残る錦や銀色に輝くものなど、その色はだんだんと明るくなってきています。夜空をおおう冠菊は、大きな玉になればなるほど圧倒的な迫力を持ち、観衆をわかせます。暗い夜空をバックに、中央の丸い芯菊と垂れ下がってゆく光跡の明暗の妙こそ、花火の醍醐味なのではないでしょうか。


色とりどりの美しい小花が一斉に開き、夜空に花園が浮かび上がる‥‥。日本の花火界に千輪が登場したのは、大正時代中期のことでした。ドーンと響いて夜空に無数の小花が咲き乱れる千輪の美しさは、たちまち観衆の心を魅了しました。当初は単色のみでしたが、今では多彩になり、彩色千輪や二度咲き千輪も見られるようになりました。千輪は、一つの玉の中にたくさんの小玉を入れて作るため、容積の小さい三号玉以下では作れず、通常は尺玉で二寸大(径6〜7センチ)の小玉が32個、20号玉になるとその小玉の数は約80個にものぼります。千輪物においても、次々と新しい試みがなされ、夜空に無数の蝶が舞う様子や、かわいらしいリボンが飛び交うといった作品も見られるようになりました。


夜空を金色に染める椰子は、その大胆な美しさに定評があります。椰子は昭和50年頃、故・青木多門氏によって開発された、比較的、新しい花火です。椰子には、チタン合金というものが使われています。チタン合金は人工衛星、ロケットの胴体などに用いられている金属なのですが、これで作られた抜き星を八方に飛ばすと、太く長い花弁を作り、残像を長い間残します。この特徴を活かし、南国の風にそよぐ椰子の葉の様子が表現されているのです。当初は「金椰子」のみでしたが、「銀椰子」「色椰子」と工夫が重ねられ、バリバリと音を出しながら開く「バリ椰子」というにぎやかなものまで登場し、今ではスターマインの構成にも欠かせない花火となっています。


まん丸い花火に見なれて来ると違ったものが見たくなる、調和美だけでは満足できなくなり、何か変化が欲しくなって来る‥‥そんな声に応えて登場したのが、この型物でした。型物は球形には開かず、魚、蝶、ハート形などの絵柄、または文字などを夜空に描き出します。ただ、型物には致命的な欠点があります。基本的に平面で見せる具象的な形を描くため、鑑賞する位置、角度によっては花火師が意図する形に見えず、見る人の想像力にまかせることになってしまうということです。しかし、それでも型物人気は衰えることを知らず、当地大曲をはじめ、全国各地の花火大会でさまざまな型物が見られます。なかでも、蝶が夜空を舞う姿は型物花火の定番であり、多くの花火ファンをわかせています。


今や花火大会の主役は連発となりました。何十、何百、何千といった花火玉を短時間のうちにテンポ良く連続して打ち上げます。果てしない夜空をスクリーンにくりひろげられるその光景は、実に圧巻。観衆に息つく暇を与えないほどに、次から次へと光の花が咲き乱れます。花火は光と色と音、そして「間」の芸術といわれていますが、それらが一体となったのがこのスターマインです。与えられた時間の中で緩急自在・起承転結の妙を持たせ、いかにダイナミックに「魅せる」か‥‥その出来栄えは、花火師の力量にかかっているといっても決して過言ではありません。その難しさが、今でも多くの花火師たちの創作意欲を刺激し続け、更に素晴らしいスターマインが生まれています。


夕刻から行われる昼花火は全国でも貴重であり、今日、競技会としては大曲でしか見られなくなりました。昼の花火では音ばかりではなく、七色の煙と光が楽しめます。また、パラシュートに吊る花火も、明るい昼だからこそ、というものもあり、昼花火の楽しみ方は多種多様。夜と違って、昼の空の色は様々であり、天気の状況によってもその効果は大きく変わります。晴天の青空では白い煙も冴えますが、どんよりとした曇り空では見えません。反対に、黒い煙菊や黄菊はくっきりと浮かび上がります。また、煙はすぐには消えず、空を漂います。風の向き・強さによって、大空のキャンバスには、花火師の意図しない絵が描かれます。そこに、夜の花火とは違った趣があるので