『恵那山登山』

第1編(3/30):園原の里<神坂神社〜月見堂〜信濃比叡>

登山年月日 平成19年07月30日 (日) 曇〜晴
登山メンバー 殿川紘史 <単独行>
主要ルート 【07/30】鈴鹿(10:00)〜園原IC(15:30)〜(16:00)神坂神社(16:30)〜(16:45)月見堂(17:05)〜(17:10)信濃比叡〜(17:45)IC駐車場(車中泊)
【07/31】
日本百名山「恵那山」登山
所要時間 【登山】7時間15分 <AM5:40-PM0:55>
【全体】13時間40分 <AM5:00-PM6:40>

     神坂神社の佇まい
       <園原の里>

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【恵那山登山ルート図】  【園原周辺概念図】


【神坂神社】

東山道は神坂峠からはほぼ同じ等高線上(尾根)を大きく東に道を取りながら、萬岳荘を経て更に尾根を東にその道筋をとる。その尾根道を阿智村園原の里に向かって進み、尾根から急坂を神坂神社付近に向けて下る。里についた辺りに神坂神社がある。
 神坂神社は元住吉神社とも言われ、表筒男命をはじめ日本武尊を祀る。境内には日本武尊が幣かわりに植えたと伝えられる神代杉、万葉の歌碑などがあり古を偲ばせる。
 境内には日本武尊が東征の帰路ここで休息され、その折り腰掛けられたと伝えられる石がある。この石は別名白狗石とも言われる。その由来は前述した日本武尊が道に迷われ、ここに憩われた時、一匹の白狗が現れて尊を導いたのでその名が付いたといわれている。

【信濃比叡】 広拯院

遥か万葉の時代から歌に詠まれ、源氏物語にも名をとどめる園原の里。 そこは東国と西国を結ぶ、東山道最大の難所でありました。 天台宗の開祖最澄は、旅人の苦難を見かね、この地に広拯院を立てられました。 このことから園原周辺は比叡山と大変縁の深い地であり、平成12年6月「信濃比叡」の呼称が許されました。
園原にある伝教大師ご尊像は、比叡山峯道に建立されているものと同一のもので、大師のご遺跡を示すために建立されました。   平成17年秋、「信濃比叡本堂建立」

長野県歌にも「たずねまほしき園原や…」と謡われる園原は、数多くの歌や物語の題材にとりあげられた山里。都と東国を結ぶ東山道沿いにあり、最大の難所である神坂峠[みさかとうげ]を越えたところにあるこの美しい集落に、古来より多くの旅人が魅了されてきた。遊歩道沿いに点在するみどころには、日本武尊[やまとたけるのみこと]の腰掛石が残る神坂神社、「源氏物語」にも取り上げられた檜の老木・箒木[ははきぎ]、源義経が馬をつないだといわれている駒つなぎの桜、かつて文人たちが中秋の名月を愛でた広拯院[こうじょういん]月見堂などがある。神坂神社〜月見堂までのハイキングは所要1時間。


【神坂神社】 【スライドショー】

両親の17回忌の法要で帰郷した後、キャンピングカーで東へ進み、日本百名山の「恵那山」登山の為に、7月30日の夕方一つの登山口から近い「園原IC」から高速道路を降りた。 時間的に2−3時間の余裕があるので、明日の登山口への情報を集める為に、IC周辺を車で散策する事にした。
登山路へ通じるルートとは違う、右手の道を選び、可なりのジグザグの急坂を登った。 約10分程度走行して「神坂神社」前で停車して、その神社を見学した。 全く事前知識を持たず、諸所にある説明板を読みながら写真を写した。
園原山麓の概念図 古代東山道標識 「古代東山道」解説板と「東山ルート図」 暦史石碑

この道は『古代東山道』として有名な街道であり、そのルートでは最も危険な峠:神坂峠を通過した。 その危険にまつわる暦史的な石碑・施設が出来た事が判る。 この写真の整理段階でインターネット経由で多くの情報を得て、その一部を引用しながら、そのウエブサイトへリンクさせてもらった。 関心のある方は、其処へリンクして、歴史的背景を御理解いただきたい。
「神坂神社」鳥居と御神木 「神坂神社」と「日本杉」 万葉集防人歌集 御神木の杉

上下の神坂神社境内にある掲示板でこの神社の歴史的背景が概要として読み取れる。 境内の杉の巨木は昔は二本在って枯れた一本の年輪から、2000年以上のご神木であったと記載されている。
境内から鳥居を俯瞰 2000年以上? 「神坂神社」境内の建物内部と外観

それ程の歴史的遺産であるが、境内の建物の質素さからは到底それらの歴史的価値は想像し難い。 唯一その歴史的証拠は「杉のご神木」と「栃の木」の巨木から理解できる。
境内入口のお手洗い 御神木の杉 「栃の木」の巨木 境内入口のお手洗い 御神木と境内

鬱蒼と茂る巨木群の為に、小雨の雨粒を遮られる程。 この神坂神社から3・5キロ歩行で、最も高い神坂峠に着く。
この「神坂神社」には「三海神」を主神とし、「八幡神」「諏訪神」「牛頭天王」等が合祀されていると記載されている。
御神木と境内 灯篭 境内正面の建物と杉のご神木 神坂神社背景解説 ピンク色の花?


【暮白の滝〜広拯院】 【スライドショー】

そんな由緒深い「神坂神社」を出て、園原IC方面へ下りながら、眼に入る観光スポット?・・・と思われる場所に停車して見物・撮影した。 第二番目にスポットは「南アルプス山群」「暮白の滝」「駒つなぎの桜」「朝日の松」「姿見の池」「はば箒木」等が散在する『東山道史跡苑』入口で、今日は「南アルプス連峰」「暮白の滝」が展望出来る場所を歩いた。
古代東山道標識 南アルプス山群展望図 歴史的石碑:源氏物語歌碑

天気が良く視界が良ければ「荒川三山」「赤石岳」「聖岳」「上河内岳」「茶臼岳」「イザルガ岳」「光岳」等が展望出来るポイントで、この展望台から真下を俯瞰すると約10m程度の落差と思われる「暮白の滝」が見え、この展望台から有料の「素焼き皿」を投げて、願い事を叶えるという施設もある。
展望台:「南アルプス山群」・「暮白の滝」・「皿投げ」等 歴史的スポット標識 「暮白の滝」由来

展望台から俯瞰する「暮白の滝」 観光スポットリスト 皿投げ用素焼き皿 東山道史跡苑標識

「駒つなぎ桜」は巨木でfドヒガン桜の木は「義経駒つなぎ桜」の伝説では、義経がこの桜の木に馬を繋いだ・・・らしい。
第三番目の停車場所は「広丞院:月見堂」で入口の石段の両側の花壇には綺麗な花が植えられ、左手の鐘楼・奥の本道「広丞院」がある。
古代東山道標識:「駒つなぎの桜」エドヒガン桜 「広丞院」月見堂解説板と関連建物

「広丞院:護摩道」を道路から見上げる 「広丞院」への登石段両側の花壇の花


【広拯院〜信濃比叡】 【スライドショー】

花壇の花 「広丞院」 鐘楼 歴史的石碑

護摩堂側の建物 花壇越しに見る駐車したキャンピングカー 「護摩堂」のランプと柱の彫刻

第四番目のスポットは最澄は建立したとされる『信濃比叡:広丞院』である。
最澄が西方へ布教の旅に出た時に、この「東山古道」の危険な神坂峠への道の救済施設として信濃側にこの「広丞院」を、美濃側には「広済院」を建立したと言う。 
「護摩堂」のランプと柱の彫刻 信濃比叡参堂入口 信濃比叡解説掲示板 最澄建立の経緯

比叡山との関係が深く、『信濃比叡』の名前がついたらしい。
現在も多くの参拝者の利便の為に「門前屋」が「参堂入口」に建つ。 食事と宿泊施設を提供する。
「不滅の法燈」解説 「信濃比叡参堂入口」と参拝者に食事等をサービスする「門前屋」 高台の「信濃比叡」主建物

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