登山ルート地図: 【便ヶ島〜薊畑〜聖平小屋】
第1編 【第1日:便ヶ島〜聖平小屋】 第2編 【第2日:聖平小屋〜聖岳山頂〜薊畑〜便ヶ島】
【11月1日:移動】 静岡県・南箱根〜袋井〜上村〜便ヶ島駐車場 |
10月30日に千葉県東金市で45年前に旭化成に同期入社の友人と年2回目のゴルフをした後、静岡県田方郡函南町のマンション(御殿場単身赴任中に取得)に宿泊。 翌11月1日、快晴の午前10時30分、明日から登山予定の「聖岳登山口:便ヶ島」を目指し、キャンピングカーで登山装備を確認後出発。 国道#1号で袋井市まで走り、国道#152号を北上。 途中で昼食、明日の登山中の「昼食(キノコ炊き込み御飯のオニギリ3個)」を購入。 国道#152号は別名・「信州街道」とあるが、道幅がドンドン狭くなり、水窪町から南信濃村に通じる道は国道とは名ばかりで、乗用車の交差もままならない所も多く、急坂とジグザクの急カーブの連続で、予想外に時間がかかり、上村で国道#152号を外れ、日本のチロルと言われる「下栗部落」を通過する頃には、あたりが暗くなり、「聖岳登山口の便ヶ島」への道が判らなくなり、一度元の道に戻り「しらびそ峠」方面に迷い込んだ。 幸いにも、峠から下って来た工事業者に出会い、正規の道に戻る事が出来た。 午後6時30分に易老渡の「易老岳」「光岳」の登山口駐車場に到着して安心。 約15−20台が既に駐車していた。 居心地良さそうな場所に駐車して、夕食・コーヒーを終えて「登山地図」を確認したら、更に数キロ奥に目的とすべき「便ヶ島駐車場」があることに気づき、再度車を約10分運転して「便ヶ島駐車場」に辿り着いた。 予想外に大きい駐車場で、完全舗装されていた。 月明かりの中で、歩き回り立派な「トイレ」を見つけて用を済ませた。 既に15−20台の車が駐車中だった。 装備を再点検して、10時頃就寝。 登山口の「便ヶ島」は聖岳の西側に位置している。 【聖岳登山の背景】 3000m級の聖岳の登山を初冬の11月に計画には下記の背景がある。 9月下旬の荒沢岳山頂で遭遇して以来「巻機山」」「安達太良山」で同行した「平居」「山崎」さんから、この聖岳登山計画を知ることになった。 今年計画していた登山も天候不順で実行出来なかった背景から、是非登山したいと考え、平居さんへ参加の可能性を打診した。 日本最南端とは言え「3000m級の山」を素人では今時には計画出来ない。 リーダーが経験豊富な羽田武氏(北大山岳部出身・2-3の山岳会のリーダー)の4人パーティーと聞いて「同行許可」厚かましくも申し込んで「OK」を得ての参加であった。 羽田氏作成の登山計画書のコピーの「初冬の登山装備リスト」に従いザックに充填した。 「60−70L」のザックに入りきれず、小生の持つ最大のザック「70−80L」を持参する。 充填してみてそのサイズの大きさと重さ(22-3キロ)で不安は大きかった。 高度差=1500mを、熟練者と同じペースで登坂出来るだろうか? 第一の不安は荷物の重量、第二の不安は、初めてで、道も判らぬ登山口で待ち合わせだった。 |
【11月2日】 <登山:第1日> 便ヶ島駐車場〜聖岳小屋 |
約午前3時頃、小生のキャンピングカーの横に車が止り、男女の数人が到着したことが判った。 平居・山崎さんはテントを張らず、小生の車の下のベッドを二人で使用するためにサイドドアーが開いた。 2時間程度の仮眠が可能な程度だった。 午前5時に目覚時計が鳴った。 熟睡したのか否か判らないが、朝の体調は良さそうだ。 パンとコーヒーの朝食を済ませて、リーダーの羽田氏・松倉氏に挨拶した。 コーヒーを分けて飲む中に、駐車場の管理人が来て「駐車料=¥500/人」を徴収。 其の時に「聖平無人小屋の水情報」を提供されて驚いた。 下山者からの情報では「水はない」との事で、急遽「2Lのペットボトル」の追加持参を決めざるを得なかった。 総重量は「25キロ」 に近くなり、総重量に対する不安は増大した。 予想よりも暖かいので、リーダーの指示で「アイゼン」「厚手のスペアー上下の下着」を外した。 未だ十分明けきらない、午前6時15分、<4人+1人(小生)>パーティーで出発。 駐車場から樹林帯の中を縫う林道歩きが直ぐ始まった。 両側、特に遠山川に面する左側の木々が丁度紅葉の最盛期で黄色・真赤・黄緑色が混ざる素晴らしい登山路になっていた。 |
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便ヶ島駐車場の登山口 | 遠山川に落ちる小滝 便ヶ島登山口〜西沢渡間の林道の紅葉(最盛期) |
パーティーのメンバーの一人・松倉氏は、64歳から登山をはじめ、最近「100山への道」と題した本を自己出版された方で、一番最後を歩き、2台のカメラで盛んに撮影しながらの歩行スタイルである事を悟る。 普通であれば、小生も同様のスタイルで登山するのが常だが、初めてのメンバーとの登山ゆえに、自然に写真撮影の枚数は意識して減らし、出来るだけ、リーダーのペースにあわせて歩いた。 朝が早く、この谷間にはまだ陽光が届かないために「紅葉の輝き」は出ないが、素晴らしいスポットが幾つもあった。 |
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便ヶ島登山口〜西沢渡間の林道沿いの「最盛期の紅葉」 |
7時前に、林道が切れる地点の「西沢渡」に到着した。 西沢の「渡渉点」になっていた。 リーダーの羽田氏のルート偵察で、20キロ前後の荷物を担いでの渡渉は難しいと判断され、その地点に設置されている「荷物籠」を利用することになった。 給水最後の地点でもあり、羽田氏は「沢水:2L」を汲まれた。 先ず羽田氏が身軽に「沢の渡渉」を完了後、残る4人は「籠」を利用しての沢渡りになった。 心細いような細い「金属製ワイヤー」に固定された「1.5mX2mの木製の籠」の上下に駆動用のPP製ロープがある。 ザックと一人が籠に載り、双方からそのロープを引いて「巾4−5mの沢」を超えた。 4人が渡渉を完了したのは7時15分。 この河原から急坂が始まった。 |
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西沢の渡渉:水量が多く、「荷物渡し用籠」を利用しての渡渉風景<「各1人+荷物」で籠に載り他3人が引き、リーダーの羽田氏が受ける> |
ボロボロの造林小屋の横を通過して急坂をジグザグに登ること約30分で、休憩の声が掛り「ほっと」して重いザックを放り出すように地面に置いた。 案袖のシャツだけになっても寒さを感じない程度だ。 河原よりも約200m高度が上がり、周囲の木々の紅葉は一部散り始めたものもある。 羽田氏の解説で透明な黄緑の木が「コシアブラの木」である事、「山菜の王様」と言われる「タラノキ」とよく似た若芽は山菜としての価値が高いことも教わった。 「会津駒ヶ岳」の登山ルートにも綺麗な紅葉に混じって「際立った黄緑色の木」をよく見かけたが、あれも「コシアブラ」だった事を思い出した。 茶赤色系統の紅葉の中で「コシアブラの透明な黄緑色」は非常に際立っていた。 |
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造林小屋(廃屋)上部急坂の紅葉 透明薄緑色「コシアブラの木」の葉 易老岳稜線方面の急斜面の紅葉 |
聖岳大崩壊地に面した急斜面が見下ろせる地点で休憩。 そこからは「易老岳稜線」方面が展望出来、聖岳の「西沢」に面した谷の険しさがよく見えた。 朝の陽光を浴びた東斜面の紅葉は冴えていた。 この一帯の紅葉は「茶色系統」画中心で、楓系統の真赤や、コシアブラの黄緑色がその中に混じる。 特に弱光線からの紅葉が最高だ。 |
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ジグザグの急登坂の苦しさを慰める最盛期の紅葉・紅葉・紅葉 |
高度がますにつれて、落葉が進み、陽光が増してくる。 栗しい急坂を数回の休憩を繰り返した。 仮眠だけの仲居さんが眠いと言い出して、10時頃から約30分間の仮眠休憩を入れる。 その間に「犬を同伴した登山者」が登って行った。 子犬の時からの習慣で「登山」画大好きだそうだ。 人間に限らず「子供の魂百までも・・・・」が動物にも当てはまるらしい。 休憩すると半袖のアンダーシャツだけでは寒くなり、長袖のシャツを取り出して休憩時間中着用した。 間もなく苔が針葉樹林帯に生えた「苔の原生林」を通過した。 苔の原生林を過ぎた直後に朝日を浴びた「兎岳(2818m)」左側に見えた。 |
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コシアブラの薄黄色の葉 葉を落としたミズナラ林の急坂 | 兎岳が見える苔の原生林 | 苔の原生林から見えた兎岳 |
落ち葉に隠れそうになっている「足元の岩」が赤紫色を帯びてくる。<同行の松倉氏の解説で、赤石岳を形成する「ラジオラリア盤岩」であると言う> 樹林帯も薄くなり、青空が沢山見える様になってきた。 11時45分ー12時15分まで昼食時間となる。 昨日立ち寄って買った「キノコ飯のオニギリ」を2個食べる。 その味の良さは格別だった。 山崎さん・平居さんから「きゅうり・レタス」等の差し入れで元気回復。 リーダーの判断で頻繁に小休止を入れて貰った関係で疲労が全く蓄積しないで、23キロ+のザックを背負って歩く事が出来、当初の心配は消え去った。 12時50分頃、登山ルートの右手が開けて「易老岳(2354m)が見えてきた。 茶色のイロがついた山だから「易老岳(イローダケ)」だそうだ(松倉氏の解説)。 |
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薊畑分岐点の展望(左から):上河内岳(2803m)・茶臼岳(2604m)・仁田岳(2524m)・易老岳(2354m)・光岳(2591m) |
今日の天気は明日まで続かない事から、あの聖岳に今日昇りたいとの声もあがったが、登り:3時間・下り:1時間35分ー>合計=4時間30分を考慮すると午後5時45分ー6時で日没までに小屋に戻れない。 全員の記念写真や風景の写真を暫く撮影して、今夜の宿=聖平無人小屋に向かった。 直後から急に雨が落ち始めたので、やむなくザックカバーを装着し、ゴアーの雨具の上だけを着用した。 すぐその雨も止んでしまった。 上空を見上げると、聖平小屋上空に消えかかった「虹」が見えた。 撮影したが、多分虹が薄すぎて写っていないかもしれない。 聖平と薊畑分岐点の中間に枯れた「薊」や「ヤマハハコ」が沢山生えたところを通過。 |
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薊畑分岐点:登山パーテーの4名 聖岳東尾根方面 | 立ち枯れした薊 | ヤマハハコの種子と産毛 |
薊畑分岐点から「上河内岳」2向かうように下りきると「聖平」と呼ばれる平地にでた。 此処には白骨化した無数の倒木が横たわり、平凡な風景のアクセントを提供しえくれた。 これらの倒木は「伊勢湾台風」でやられた物だそうだ。 「大台ヶ原の倒木」と同じ台風の被害なのだ。 |
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薊畑分岐〜聖平間からのて展望: 上河内岳とその稜線 | 小聖岳・聖岳望遠 |
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聖平の風景:伊勢湾台風の被害の倒木群 薊畑分岐を見上げる 小聖岳(手前)・聖岳(奥) |
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聖平から見上げる小聖岳・聖岳 聖平の倒木群 | 聖平小屋(営業休止中) | 聖平無人小屋 |
上部に立派な大きい赤い屋根の建物があり、その下に「赤茶けたトタン屋根・壁」の小屋があった。 冬季に無料で使用できるのはこの小屋だった。 内部は外部に比べて立派で、今夜は宿泊者数も少なく(定員の1/3〜1/4)ゆっくりと休息できるスペースもあった。 こんなに早い時間に小屋に到着したことは初めてだし、5人も揃ってどくろを巻いておしゃべりする登山も初めての経験だった。 道中は予定の時間=午後2時に小屋に到着出来ないと心配していたが、全く予定通りに到着したことになる。 14時過ぎから早く休んだとしても、6時頃までの時間をどうして過ごそうかと、5人が皆考えた。 1階奥の最も落ち着く場所を占領して、結局、「コーヒー」や「アルコール」を飲みながら「野菜サンドイッチ」・「酒の肴」を2時間くらいかけて食べながらのおしゃべり。 その後で三々五々に各自が持ち込んだ「夕食」を食べた。 出来るだけ時間をかけたが、薄暗くなり始めた5時前に終了して、殆どが、シュラフに入り「暖」をとり始めた。 今夜は寒くなりそうだとのリーダー氏のアドバイス。 小生は「真冬用シュラフ(−10度〜15度)」のために、あえて厚着せずに寝ることにした。 8時過ぎには全員消灯して寝息・イビキを出し始めたが、何時も午前様の小生はとても眠れなかった。 風も強くなり、『トタン屋根』から音が出始めた。 12時頃までは、浅い眠りを繰り返したようだ。 【注】小屋に水はないとの情報は間違いで、小屋の側には、流水ではないが「煮沸」すれば十分な水が、また2−300m離れた沢には流水が確保できた。 |
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