写真をクリックすれば拡大できます | 【焼岳登山地図】 【焼岳ー西穂山荘縦走路地図】 |
【8月7日:道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」】 <登山休養日> 8月6日、立山下山後、神岡町経由で栃尾温泉郷側の道の駅「奥飛騨温泉郷上宝」で車中宿泊。 朝も曇〜小雨の繰り返しのはっきりせぬ天気で、明日の「焼岳登山」の天気が心配だった。 8時頃朝食。 8時半から13時過ぎの昼食まで、道の駅休憩所の電源を借りて写真(白川郷・白山スーパー林道・白山・荒島岳・立山・剣岳等)をPCでスライドショーで鑑賞。 午後は再度、中尾温泉奥の登山口の確認に行く。 帰途、中尾温泉口の河原にある露天風呂、『新穂高の湯』を橋の上から覗く。 女性も含めて5-6名が入浴中だった。 非常に綺麗で、無料で入浴出来る。 湯温度は38−39度と低いらしい。 「休憩所のテレビ」で天気予報を確認。 岐阜県北部地方ではあるが、曇で雨はない様な予報で安心。 7月28日〜8月6日までの連続登山の疲労を大分取り除く事が出来た。 明日からの焼岳登山、西穂山荘までの縦走、9日の西穂高岳登山の登山用品をチェックして、ザックに詰め込んだ。 |
【焼岳関連情報】 高度2458mの日本百名山。 大正四年(1915年)6月6日、焼岳は地震を伴って爆発し、頂上旧火口から幅330m、深さ2m余の泥流を押し出して梓川を堰きとめた。 大正池はその副産物である。 池中に枯死した白樺が林立し、その水面に穂高や、焼が姿を落とすという、ちょっと日本には類のないエキゾチックな風景を現出した。 そしてその眺めは、絵葉書になり、白樺細工になって、今では上高地の最も代表的な名所となっている。 大正池と河童橋はアマチュア写真家のカメラから逃れる事はできない。 <日本百名山:深田久弥より転載> 焼岳は今でも山頂付近から噴煙を出し、活動を続けている活火山で、最近では、昭和37年6月に爆発し、山腹の山小屋が壊された。 焼岳は釣鐘をふせたような形をしています。このような形の火山をトロイデといい、ねばりけの強い溶岩が積み重なってできたものです。はっきりとした火口があり、水を池のようにたたえています。 【登山ルート】 @ 中の湯駐車場ー>焼岳・北峰 <3時間15分> A 上高地温泉ー>焼岳小屋ー>展望台ー>中尾峠ー>焼岳・北峰 <4時間20分> B 中尾温泉口ー>中尾キャンプ場(駐車場)ー>焼岳小屋分岐ー>中尾峠ー>焼岳・北峰 <5時間10分> |
【8月8日:焼岳登山ー>西穂山荘縦走】 道の駅(3:55)〜(4:10)登山口(4:55)〜(7:30)神社〜(8:20)中尾峠(8:55)〜(9:45)焼岳・北峰(10:05)〜(10:50)中尾峠(11:00)〜(11:15)焼岳小屋〜(13:15)割谷山〜(14:20)上高地分岐(14:35)〜(14:50)西穂山荘(宿泊) 昨夜、早く就寝したので、午前3時半頃起床・トイレ後に朝食前に「中尾温泉奥登山口」へ移動することに決めた。 3時55分に道の駅を出て、4時10分に登山口駐車場着。 お湯を沸かして500mLテルモスへコーヒーを作り、「ご飯+味噌汁+コーヒー」の朝食を摂る。 4時40分には外はやや明るくなり始め、55分に駐車場を出発。 |
スライドショー | 【第1部】 【第2部】 【第3部】 |
オオイタドリ | ガクウツギ | ガクアジサイ | ||
樹林帯故に上空は明るくなってきたが、登山路は薄暗く感じる。 車道が切れて沢を渡り登山道が始まる。 一昨日大雨〜昨日小雨の為に、登山路は濡れ、木々は雨水が露として残っている。 樹林帯で視界がないので、登山路両側にある植物を撮影しながらゆっくり登った。 派手な花はないが、意外に種類が多かったことに気付く。 |
錫杖岳方面 | 笠ヶ岳?方面 | 白水の滝を見る夫婦 | 白水の滝 |
スダヤクシュ | チョウジギク | センジュガンピ | |||
登山路の笹の縁等に「ホトトギス」・「ヒメシャジン」・「ゴッゼンタチバナ」・「タケシマランの赤い実」・「クロミノタケシマランの黒い実」・「クルマバックバネソウ」・「マイズルソウの実」等が多かった。 |
ホトトギス | ヒメシャジン |
ホトトギス | クルマバックバネソウ |
ホトトギス | ヤマブキショウマ |
フキユキノシタ | サンカヨウの実 | マルバノイチヤクソウ | タケシマランの赤い実 |
ヤマブキショウマ | タケシマランの赤い実 |
タケシマランの赤い実 |
マルバノイチヤクソウ | ゴゼンタチバナの実と花 | タケシマランの実 |
タケシマランの実 | マイズルソウの実 | イワオトギリ | マルバノイチヤクソウ | |
登山口駐車場から約2時間半歩いて、「秀綱神社」前を通過。 看板によると「秀綱神社」の謂れについて以下の様に記述されている。 『秀綱の中尾峠越え』 秀綱は戦国時代飛騨一円を従えた幹自綱の子で、飛州高山の松倉城主だった。 身重の奥方と信州波田城を目指す為に中尾峠越す時に、不運にも杣人に殺された。 中尾の人々がゆかりの地に悲運の武将を祭り道中安全と家内安全の守り神として代々護り伝えている <岐阜県上宝村> |
オオバタケシマラン |
『焼岳登山・縦走:第2編<>』へリンク |