壱岐の散歩道:渡良三島
<長島編>

○ 年月日 平成15年5月10日   快晴
○ メンバー 殿川紘史  (単独行)
○ 主要ルート さんご大橋(11:35)ー>(11:45)長島港入口−>(12:10)黒瀬<海岸の瀬の散策>(12:30)ー>(12:45)佛崎灯台(12:50)−>(13:10)長島港:昼食(13:30)
○ 所要時間 1時間35分 <AM11:35−PM1:10>


     <長島港:長島神社より>

珊瑚大橋の左右の海岸を見下ろし、写真撮影しながら、10分も掛けて橋を渡リ「渡良三島」二つ目の島「長島」徒歩でに入る。  橋の右手奥に「タツコ島」も見える。

珊瑚大橋よりタツコ島方面を望む 珊瑚大橋の珊瑚浜側の磯 長島の護岸堤防

直ぐ右手の小道(此処も舗装道)を辿り、行き止リ点で、橋の袂の海岸に下りた。 平坦なツルツルの灰黒色岩の表面には「饅頭」のような不思議な模様が規則的についている。 その一枚岩の海岸が海水と接する所には無数の「褐色の海草」が這えいた。 中学の頃の大潮の時に親に促されて採取した「フノリ」に間違いない。 「フノリ」は、採取後、真水で洗浄・乾燥を繰り返して無色になるまで「晒し乾燥」して貯蔵。  必要に応じて熱湯で煮て溶かし、着物類の「ノリヅケ」に使う。  50年も前はこんな物も浜で採取して自給していた。  この海草が多いのは最近の需給関係の結果だろう。  殆ど着物は着ないし、自分で糊付けする人もないからだろう。 海水の深い所でも幼少の頃に比べて海草が少ない。 海草を衣食住とする「魚介類が現象しているのも容易に想像できる。  変な理屈を考えて、又丘の小道に戻る。

珊瑚大橋下の長島の不思議な模様の岩 今は利用されぬ海草:フノ 野バラ

その両側は豊富な山野草の花盛り!!  「赤いアザミ」、「黄色の小さい花:ミヤコグサ」、特に「白い花で背の高い植物:ミヤマシシウ」は白が「珊瑚大橋」の人工建造物とのコントラストが美しい。 この光景に見とれて数メートル進む度に「シャッター」を押した。  近代化した島と自然の豊かさを物語る、この中の1枚を「HP紀行文のトップ写真」にしたい。 

珊瑚大橋を長島側から望む 白い花:ミヤマシシウド 青空にバンザイ:ミヤマシシウド
風景にマッチした珊瑚大橋 原野の王様:ミヤマシシウド
ミヤコグサ キジムシロ 三島の野草の王様:あざみ ダイコンソウ

道標はないが、海岸に最も近い道に沿って山野草に見とれながら進むと放牧中の牛がいる平坦地に出たところで、農作業中の婦人に初めて会った。  肉牛として益々評価を高めている「壱州牛」として有名な「黒牛」。 花の撮影で側に近づいても無視するが如く草を食むことを継続している。 正面に海の見えるところで左手の海岸の岩では釣りする人が見える。

黄色のミヤコグサの花を背景に 何処にでもあざみは満開 名前不詳:牧草地内
黒瀬と佛崎灯台の分岐の眺め 絶好の釣り場が一杯 ミヤマシシウドとアザミの競演

右折して坂道を辿ると、左下に「タツコ島」らしい島が現れた。 牛、数頭が放牧中の斜面を下れば海岸に降りてその島に近づけそうだ。 斜面には「アザミ」が至る所に咲いている。 牛も棘のあるあざみは食しないようだ。 幸いにも干潮の為に一枚岩が続く海岸を歩けば、島に渡れそうだ。 巨大な一枚に見える平たい岩には規則的に「碁盤の目」のような線が見えるが、如何して形成されたのかは判らないが、兎に角不思議な模様だ。  珊瑚大橋の下の岩と同じ灰黒色だが、模様が違う。 歩き易い岩の海浜を右に行くと干潮の海水面に鮮明な緑の海草(アオサ)がびっしり付着して、「黒い石とのコントラスト」が美しく何枚か撮影。

黒瀬を見下ろす牧草地 干潮で出た浅瀬 干潮で出た浅瀬
干潮の浜:タツコ島と黒瀬 放牧場直下の磯:真緑のアオサ

少し戻って島の裏に通じる踏み跡を辿って進む。 常に塩水の当たる海岸特有の植物の間を踏みながら小島の裏手に出た。 予想外に広い黒色のゴツゴツの岩場た。 「黒瀬」の名前通りの真っ黒な大きい岩場である。 その先端部に一人の釣り人がいた。 昨夜から夜釣りをしているという。 釣果は40−50cmの黒鯛と20−30cmの数匹のチヌだと見せてくれた。  毎月の如く福岡から態々遣って来るお好みの釣り場だそうだ。

黒瀬の岩の割れ目一杯の二枚貝 鮮やかなミヤコグサの花:放牧場

常に北西の季節風を受けてか海岸線はずっと厳しい岩場の連続だ。 岩と海水の接触面には豊富な海草が茂っているし、海水で洗われる岩には無数の貝類がすべての割れ目に付着している。 穏やかな波の打ち寄せる音聞き、潮の匂いを感じながら、岩場にいるとその豊富な資源に見とれ時間の経過を忘れてしまいそうだ。

我春を謳歌 潮風を好む植物:??? 白色の大輪:ミヤマシシウド

 「13時30分の原島港行き」のフェリー乗船時間を気にしながら、元の道を辿って「黒瀬」から離れ牧草の斜面を登る。  牛の糞を避けながら進むと好奇心の強い一頭の牛が近づいて来た。 元の道に戻り「黒い岩場」を背景に「あざみ」を撮影。  「佛崎灯台」を目指して、狭いが緩やかに曲がりくねった舗装された道を進む。 小高い黒瀬が見下ろせる所で、「野球場の大きさの整地された平地」が見えた。何の目的であろうか?  全く人家のない牧草地に忽然と現れた。  その道の側に、まだ新しい牛舎が有るが、最近は使われていないようだ。 此れも最近放棄された物の様だ。  「狂牛病」騒ぎの価格下落で養牛を止めたのだろうか? 

タツコ島と壱州牛 群落を形成していた花:??? 唯一の大株:名前不明
佛崎灯台 迷彩色のコンクリート建物:戦時中の弾薬庫? 神社から長島港を見下ろす

分かれ道を右に進むと「佛崎灯台」の標識。  高さ約10mのタイル張りの四角い無人灯台。 島の西端の高台だが、海は見えぬ位、周囲は雑木に覆われていた。  少し戻って狭い舗装道路に沿って進むと、雑木林の中に「迷彩色に塗装されたコンクリートの建物」が見えた。  確認していないが「戦争中の遺産の弾薬庫}であろうか?  間もなく人家が寄り合う狭い道を抜けてフェリー乗り場の「長島港」に出た。  13時40分のフェリーの間までの30分が「昼食時間」だ。 小1時間前からかなり空腹感を感じていたが『果物・センベイ・チーズ』にコーヒー沸かして昼食とする。 汽笛に促されて急いで支度して、りんごをかじりながら、最後の島「原島」に渡るフェりーに乗船。 先程、「タツコ島の黒瀬」の釣人も「原島港ー>郷ノ浦港」行きのフェリーに乗船乗船するそうだ。 このフェリーは又長島港に立ち寄り、 大島・渡良経由で「郷ノ浦港」に出て、夕方のジェットフォイルで博多に戻るのだそうだ。



<参考情報>

壱岐』: 佐賀県の真北約30キロの玄界灘に位置し、歴史上は日本と中国・朝鮮の飛び石的島としての役割を果たし、最近その大規模な遺跡が発掘されて「壱岐が邪馬台国の中心だった」とする学説を通じてその事実が確認されつつある。 行政的には「長崎県」に属し、経済的には福岡市との関係が最も深い。 その「博多港」から高速フェリー:ジェットフォイルで65分、飛行機は福岡空港と大村空港からと二つのルートが有り、夫々小型機で結ばれている。 人口は約35,000人、3町1村に行政区分され、国の政策に沿って「平成16年度の市制施行」が決定された状態。 島の産業は「農業」「魚業」「観光」「商業」が主体で、最高峰が200Mの「竹の辻」で、平地中心の島の為「林業」は最早皆無に近い。 その離島:壱岐の中の『離島:渡良三島』は、壱岐の中心の町:郷ノ浦町に属する。 三島の合計人口は約550人、 面積、約一平方キロの最大の島「大島」が、約半数、 約0.5平方キロ面積の他の二つの島「長島」と「原島」が半数ずつ。 代表的な産業は「漁業」。 現在でも夫々の島には「小学校の分校」がある便利な島で壱岐でも最も自然豊かな所である。  (各島の面積・人口数は「壱岐日々新聞の記事」から転載させて戴きました。)

『壱岐観光協会』  http://www.ikikankou.com/   ( 壱岐の観光情報全般 )

『郷ノ浦町』  http://www.town.gounoura.nagasaki.jp/   ( 「渡良三島」の所属する町のHP )

『壱岐巡り』  http://homepage1.nifty.com/HAKUSEN/  ( 「壱岐の歴史・遺跡関連情報 )