壱岐の散歩道:渡良三島 <大島編>
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<高台からの大島港の展望> |
壱岐の散歩道:渡良三島散策の背景 |
故郷:離島の「壱岐」の中の更に離島の『郷ノ浦町・渡良三島』に渡り、散策するきっかけは、有力な地元新聞:「壱岐日々新聞」の連載コラム:『壱岐の散歩道』(9)(平成15年5月2日号)を読んだことによる。 中学・高校の同級生の親友がそのコラムを担当し、連載しているからだ。 タブロイド版4ページ内の半ページを占める「写真付の訪問記事」で、どうしても時間を工面して散策してみたい衝動に駈られた。 18年間故郷に住みながら、一度も訪れたことのない島の中「離島」は旧渡良村に属した三つの島から構成されるために、『渡良三島』(大島・長島・春島)と呼ぶようだ。 壱岐を出る前日の<5月10日>を初めての三島トレッキングに割り当てた。 情報量が多過ぎるので「渡良三島散策」を三つの島ごとに分割して「大島編」・「長島編」・「原島編」順に纏めて |
滞在中の壱岐唯一の天然温泉地:湯之本を7時30分、車で出発ー>最も渡良三島に近い「渡良港」で新造船「フェリー:みしま」に乗船。 三島の定期連絡船にしては「大きく立派」。 約10分で最大の島「大島港」に、9時過ぎに到着。 下船したのは、「正装した和尚さん」と小生の二人だけ。 土曜日の第1便だから乗船客は少ないのだろうか? 上記新聞のコピーを片手に、地元の老人に道を確認して「大島海水浴場」に向かう。 港を見下ろせる高台から入り江の大島港を見下ろし、先程のフェリーの出港を見届けた。 港の立派さと漁船の数の少なさを不思議に思った。 「保育園?」の側を抜け、草だけが目立つ狭いが舗装された農道を辿る。 |
高台から大島港を望む | タカネニガナ ? | ノバラ ? |
道中至る所に花を付けた「山野草」が目立つ。 ハマダイコン、 あざみ、カタバミ以外の多くの野草の名前は不詳。 後で調べる為に全部を近接撮影。 農地の半分以上は休耕地?? 草が蔓延る畑ばかりだ。 只一箇所、害虫をよける「PVCフイルム」を被った株が見えた。 多分「瓜類」(メロン・スイカ・ウリ)だろう。 |
< ??? > | アカツメグサ | ミヤマシシウドの蕾 |
20分掛けて「大島海水浴場」着。 幅は50m位の「きめの細かい白砂の浜」で、右半分は立派なコンクリートの堤防に囲まれ、砂浜の入口のやや高い場所に「立派な屋熱付の休憩所」と「トイレ・シャワー付脱衣場」も完備されているのには驚いた。 勿論、5月上旬の海水浴場には誰もいない。 浜夕顔の花、ハマダイコン、白いクローバーの花が砂地に生えている。 快晴の天候で正に「白砂青松」の浜が陽光に照らされて眩い程である。 海水はあくまで透明で、そのまま飲料にも出来そうな位だ。 |
大島海水浴場:#1 | 休憩所 | 海水浴場#1−>海水浴場#2 |
右に続く綺麗な手すり付の護岸道を進み、コンクリート製の円形の階段で砂浜に下りた。 岩と砂が混じる海水との接点には5−6種類の「貝類」が直ぐに目に付いた。 「唐傘の形の1枚貝」「大小のニナ類」「ムラサキ色のカラス貝?」や、真緑色の海草=「アオサ」の様だ。 海水中には2−3種類の小魚類も泳いでいる。 |
唐傘形の貝: ?? | 岩の割れ目の二枚貝: ??? | フジツボ |
より小さいがもう一つの砂浜が又現れた。 二つの砂浜が40M位の突堤で仕切られた形になっている。 その突堤を先端まで歩くと、フェリーに乗船した渡良港に近い「渡良半島」が大島瀬戸を隔てて、直ぐ眼前に見える。 予想外に近い!! タイル張り突堤には諸所に「貝・魚・ヒトデ」等の図柄がコンクリートに張り付けられている。 美しいがこんなに手の込んだ=高価な突堤が過疎地域に作られているのがなんとも不可解??。 更にその突堤の両方は、立派なデザインの階段まで設置されているという念の入れ様だ!! バブル経済下での投資?の見本かもしれない。 高価な海水浴場付属施設よりも小生の気持ちを和ませてくれたのは、砂浜・入口の草地・小道沿い草花の自然だった。 |
大島海水浴場#2 | 二つの海水浴場に挟まれた突堤 | 立派過ぎる?飾りタイル張りの突堤 |
大島瀬戸に面した海岸 | 砂浜に咲く花:ニガナ類?? | 砂浜に咲くおおまち草?? |
その不釣合いな立派さにあきれて、予定時間オーバーに気付き、「前田浜」方面の右手の小道を辿った。 有効幅2m舗装された小道は雑木林の中を抜けて、『前田浜』に導いてくれた。 両岸から伸びる石積みの堤防に守られた内側に漁船数隻が係留されているが、猟師の姿はない。 堤防の外側の水深は深く、海水は透明だが、海底は見えない。 前田浜の奥の平坦地には田植え直前の「たんぼ」が有り驚いた。 稲作も可能なのだ!! |
シロツメグサ | キジムシロ | 野あざみ?? | 田植え前の前田浜のたんぼ |
この島の全ての道が舗装されており、縦走無人に小道があるのでどれが「飛瀬への道」か全く判らない。 道標は無く、「飛瀬」へは、海岸に沿う小道が唯一の情報だ。 遂に納屋で作業中の老人に「飛瀬への道」を聞き、舗装した小道を辿る。 予想外に大きい立派な大島分校校舎・運動場を右に見て進み、立ち枯れの多い松の樹々を見ながら、海岸に近づく。 |
タンポポの綿毛 | 三島小学校・本校校舎 | キジムシロ ?? ニガナ ?? |
途中で「田植え直後の数枚のたんぼ」を見つけた。 海岸は予想外に変化が少なく、ただ丸い大きい石が豊富な浜。 残念だがここも「漁労用具」「中空の浮き」「生活用品」「ドリンク用ボトル」「発砲ポリスチレンのブイ」「ロープ」等でこの自然に相応しくないが、最近の海岸は例外なくこんな光景だ。 唯一の慰めは浜と放牧地の境界面の山野草の満開の花だ。 |
飛瀬海岸 | 飛瀬海岸のハマダイコンとあざみ |
ざっと見渡しても、5−6種類の花が咲き、あざみ・ハマダイコン以外の名前が判らないのが残念だ。 浜の右側の傾斜地には放牧中の牛、数頭がのんびりと草を食んでいた。(後で考えると海岸沿いに更に進まないと「飛瀬」には届かない。 結局、「飛瀬」には行っていなかったようだ。) 失望して踵をかえして道幅の広い道路を辿って「珊瑚浜」=「珊瑚大橋」に向かう。 この地域は戦時中は「弾薬貯蔵庫」が有ったらしい。 |
飛瀬海岸の牧草地 | 野バラ?? | 珊瑚大橋付近から郷ノ浦(奥)と長島(右)を望む |
10分余の歩行で「珊瑚浜」と「長島」を結ぶ『珊瑚大橋』 が目前に迫る。 橋の袂の工場らしい建物を覗くjと『あわびの稚貝』を育てる養殖場だった。 許可を貰い「初めてのアワビ養殖」を丹念に観察。 直径5mm位の貝を20−30mmまで育てて、海に戻して大きくするそうだ。 労働集約産業!! 従業員全員が家庭の主婦のようだ。 常時、新鮮な海水を3段の棚の上から稚貝の入った夫々の養殖箱に「穴のあいたPVCパイプ」を通して重力で流し、海水は又海に戻す。 出荷出来る「直径30mmの稚貝」の出荷価格は聞いても教えて呉れなかった。 こんなに手の込んだ作業で、恐ろしく成長の遅い稚貝を育てるのだから、高価そうだし、「アワビの市場価格」が高いのも頷ける。 時間の経過を気にしながら「珊瑚大橋」に上がり、平成11年3月完成の約200mのコンクリート橋を渡った。 其れまでは、200m隔てた「長島」へも連絡船:フェリー「みしま」か、個人の漁船が交通手段。 2車線のコンクリート橋は立派で廻りの景色に良く溶け込んでいた。 |
大島珊瑚浜から珊瑚大橋と長島 | 珊瑚浜のあわびの稚貝養殖場内部 | 珊瑚浜のあわびの稚貝養殖場内部 |
<参考情報> 『壱岐』: 佐賀県の真北約30キロの玄界灘に位置し、歴史上は日本と中国・朝鮮の飛び石的島としての役割を果たし、最近その大規模な遺跡が発掘されて「壱岐が邪馬台国の中心だった」とする学説を通じてその事実が確認されつつある。 行政的には「長崎県」に属し、経済的には福岡市との関係が最も深い。 その「博多港」から高速フェリー:ジェットフォイルで65分、飛行機は福岡空港と大村空港からと二つのルートが有り、夫々小型機で結ばれている。 人口は約35,000人、3町1村に行政区分され、国の政策に沿って「平成16年度の市制施行」が決定された状態。 島の産業は「農業」「魚業」「観光」「商業」が主体で、最高峰が200Mの「竹の辻」で、平地中心の島の為「林業」は最早皆無に近い。 その離島:壱岐の中の『離島:渡良三島』は、壱岐の中心の町:郷ノ浦町に属する。 三島の合計人口は約550人、 面積、約一平方キロの最大の島「大島」が、約半数、 約0.5平方キロ面積の他の二つの島「長島」と「原島」が半数ずつ。 代表的な産業は「漁業」。 現在でも夫々の島には「小学校の分校」がある便利な島で壱岐でも最も自然豊かな所である。 (各島の面積・人口数は「壱岐日々新聞の記事」から転載させて戴きました。) 『壱岐観光協会』 http://www.ikikankou.com/ (壱岐の観光情報全般) |