戦場ヶ原雪上トレッキングD | ![]() 戦場ヶ原:湯川の蛇行 <自然探求路:青木橋付近> |
写真を繰りクリックすれば拡大出来ます | 戦場ヶ原〜小田代ヶ原周遊コース概念図 |
【戦場ヶ原概要】 『戦場ヶ原』は高度:1394mの中禅寺湖の奥にある湿原である。 男体山の噴火により出来た湖水が流出した土砂で埋められて湿原になっが、尾瀬ヶ原に比べると、乾燥化が進んでおり、湿原の中央を流れる湯川の周辺以外は白樺・唐松等の樹木の生育が進みつつある。 「湿原植物」は勿論、春先の「カラマツの伊吹き」、初夏の「ホザキシモツケ」、秋の「紅葉」、冬の「雪原」と四季折々の美しさを楽しめる。 戦場ヶ原の名称は、男体山の大蛇と赤城山のムカデがこの地で戦ったという伝説に由来する。 【小田代原概要】 『小田代原』は、戦場ヶ原の西側にひつそりとしたたたずまいで、一見地味な存在であるが、雑踏から切り離された、静寂の中で、自然の営みを肌で感じることが出来る草原である。 戦場ヶ原と同じ様に湿原であったが、乾燥化が進み、湿原から草原へと変わったものである。 戦場ヶ原とは「ミズナラ」の林で隔てられていて、標高は戦場ヶ原よりも高く1410m、大と林に囲まれた盆地状の地形である。 草原は季節により、また陽の差し込む角度により、さまざまな表情がある。 北西辺のカラマツ林は樹齢200−300m年を数え、国内有数のカラマツ美林である。 「貴婦人」と呼ばれる「シラカバ」が小田代の中央にあり、カメラマンの撮影ポイントになっいる。 |
【過去の雪上トレッキング記録:平成15年と16年の2回の記録】 <平成15年2月14ー15日:第1回目> 北海道・羅臼岳登山口の山小屋で世話になった阿久津氏が故郷・栃木県船生に帰られたので「奥日光・湯本スキー場」へ同行後、其の日の午後から戦場ヶ原・三本松茶屋駐車場に駐車して、午後2時頃から国道#129より東側の戦場ヶ原をワカンを履いて戦場ヶ原で初めての経験をした。 其の夜はマイナス20度の寒い夜を車内で「冬山装備品の体感テスト」兼ねて過ごし、翌15日は14日とは反対側の戦場ヶ原と小田代ヶ原の周遊をした。 その記録は『戦場ヶ原雪上トレッキング記録:第1/2編』 と 『同・記録:第2/2編』を参照されたい。 <平成16年2月24日:第2回目> 第2回目は去年の2月、市内在住の友人:福川氏との日帰りトレッキングである。 その時のルートは「赤沼茶屋ー>戦場ヶ原展望台ー>小田代ヶ原展望台ー>貴婦人ー>雪原縦断ー>青木橋ー><自然探求路>−>シャクナゲ橋分岐ー>赤沼茶屋」のルートだった。 過去2回共に眼が痛くなる様な快晴の日だった。 |
第3回目の戦場ヶ原・小田代ヶ原雪上トレッキングは快晴を天気予報で確認した「平成17年2月15日」で奇しくも第1回目と同じ日になった。 2回目と同様に朝自宅を出てトレッキングをスタートした。 去年8月後半から約5ヶ月中止していた登山・トレッキング活動再開後の第2回目で雪上のワカン歩行に多少の不安を持った計画だったが過去の経験も在るので、単独の歩行になる。 ルートは第2回目同様の『戦場ヶ原・赤沼駐車場ー>戦場ヶ原展望台ー>小田代ヶ原展望台ー>貴婦人ー>雪原縦断ー>泉門池分岐ー><自然探求路>ー>青木橋ー>シャクナゲ橋分岐ー>赤沼茶屋』を辿った。 その写真撮影記録を以下に纏める。 |
スライドショー第5編: 『第1部』 『第2部』 |
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泉門池・赤沼分岐点から赤沼方面に右折して<自然探求路>に入って直ぐに戦場ヶ原の視界が急に広がる。 側を湯ノ湖・湯滝・小滝を経て流れる巾:5−6mの「湯川」の蛇行が横にある。 湯川での釣り禁止区域内らしい看板があった。 |
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湯川の背後は男体山・大真名子山等 | 細い白樺の木々が多くなった | 右側:ミズナラの樹林帯が迫る |
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樹林帯から吹き寄せる風で湯川縁には小さい雪庇が見える | 疎らな白樺と湯川の蛇行・更に山並みは展開 |
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樹林帯を歩く | 雪に埋もれた標識が「青木橋」を知らせる | 橋の右手の蛇行する湯川は箱庭の様に綺麗 |
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湿原の小さい半島・小島(谷地坊主)等に雪が積もり丸みを帯びた盛り上がりが幾つも連なり「御伽の国」に来た錯覚さえ感じる別世界。 水面には周囲の情景が写し込まれて、一人占めするには余りにも勿体無い。 人が入った足跡は少ない |
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こんな景色が一杯 | 背後:高山らしい | 青木橋を渡り戦場ヶ原に伸びる<自然探求路>を示す説明板がある |
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戦場ヶ原の唐松は植林された物らしい。 周囲の木々に比べて戦場ヶ原の其れは小さい理由はやせ土の為で在るとの説明。 ひ弱見える沢山の白樺は自生らしい | 湯川の著しい蛇行<右:大岳 左:高山> |
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湯川の中や縁に丸い盛り上がりがある。 スゲの仲間が株を形成している「谷地坊主」と呼ばれるものが処々にある。水位が上がると盛り上がり、低いと下がるらしい。 この付近の湯川の蛇行はした湿原の中の川の姿を物語る。 |
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湯川の川縁周辺の雪の質感は飽くまでも柔らか! | 枯れた唐松 | 奥白根山方面(北西) | 大・小真名子方面(東) |
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戦場ヶ原の東方は日光連山のパノラマが・・・最も目立つ存在は北の「太郎山(2368m)」 | 吹き付ける風で湯川縁は鋭い雪の崖=雪庇 | 太郎山・小真名子山・女峰山・大真名子山 | 奥白根方面は雲が低下し始める |
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西方の山並:雲発生 | 戦場ヶ原南方面:雪面には無数の足跡(ワカン・スノシュー)・湯川は南の大岳・高山方向へ |
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一本の小川=湯川が戦場ヶ原をこれ程に変化を作り出す見本を見る様だ。 湯川が無ければ変化の無い雪原だけだ |
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戦場ヶ原の中心部:白樺・唐松・ミズ等の木々の背景は日光連山・夏季には此処一面に「ワタスゲ」の絨毯が出来る |
泉門池を経由せず、直接赤沼方面へ右折して<自然探求路>に入る。 其処から青木橋までの道が雪で判らず、出来るだけ「湯川」に沿って前進した。 途中で樹林帯通過を避けられず、青木橋は見出せぬかも知れない不安があった。 分岐点から35分後、偶然にも左手に橋らしき盛り上がりを発見。 確かに「青木橋」の標識が雪に半分埋もれていたが間違いなかった。 ザックを下ろして休憩する間の無く橋の手前の右側の川に向かった。 真っ白の雪の間に蛇行する「湯川」の水が黒く見えた。 「谷地坊主(上記写真看板説明参照)」の上に雪が積もり独特の丸い盛り上がりが幾つか連なり奇妙な形状が周囲の景観に対して変化を出していた。 雪面に移る周囲の木々の陰と共に大好きな景色である。 15分間も周辺を撮影した後、青木橋を渡り戦場ヶ原の開けた雪原に続く踏み後を辿った。 左側には日光連山(太郎山・子真名子山・女峰山・大真名子山・男体山)が連なり、雪原にはひ弱に見える白樺の木や唐松が沢山自生している。 一見、小さく見える唐松は湿原周囲の唐松同様に約50年前に植林されたものらしい。 湿原の厳しい環境が成長を遅らせているとの説明看板。 又この一帯には「ワタスゲ」で白い絨毯の様になるらしい。 略、自然探求路は湯川に沿って南に伸びている。 蛇行する湯川岸と湯川の水が単純な雪原に変化をかもし出す。 岸の雪面の雪庇を見れば雪原の風の強さが想像できる。 西方の奥白根山方向の上空は雲が厚くなり始めていた。 |
『雪上トレッキング:第6編』へリンク |